2012 アンコール遺跡群(5)
第5話「 ニャックポアン」・「タ・ケウ」・「バンテアイ・クディ」遺跡の観光
昼食を済ませ、ホテルに戻って少しの昼寝 … そして午後からの観光はまず「ニャックポアン」と言う遺跡から始まった。
車を降りて、案内された入り口から、およそ5分ほど歩いたところに遺跡はあった。
この日は、観光客が少なく、とても静かな森の中といった感じ。垣根にもたれ、ゆっくり落ち着いて現地ガイドのアンさんの説明を聞くことが出来た。
遺跡の名前「ニャック・ポアン」は「絡み合う蛇」と言う意味だそうで、12 世紀の後半に、ジャヤヴァルマン七世が建立した仏教寺院だとされています。
2匹の大蛇によって取り巻かれた祠堂が、中央の池に浮かんでいる形となっています。 そして、12世紀後半、仏教を深く信仰していたジャヤヴァルマン7世が、貧しい人々にも観音菩薩の慈悲を分け与えるために造った5つの池が配置されています。 一辺が約70mの中央池の四方には、小池が配置されていて、中央池から樋を通して四方の池に水が流れ出す仕掛けとなっています。 その中央の大池から、四方にある小池に、ゾウ・人・ライオン・ウマの頭部をかたどった樋の口から水を流し込んでいるのであるが、その手法は、治水に長けたクメールの農耕文化を象徴したものだそうです。 さらにその周囲を大池が取り囲む構造となっています。
つまり、この寺院は、治水に対する信仰と技術を象徴するお寺とされているのです。
中央祠堂の基壇の上の縁は、ハスの花でかたどられていて、池が水で満ちていた当時は、まさに水に浮かぶハスの花の上に、祠堂が建っている … そんな美しい姿そのものを見ていたのであろうと思われます。
また、中央池には、インド神話を題材としたヴァラーハ(神馬)のほぼ等身大の彫刻があります。 この天を駆ける神馬は、ヴァラーハと呼ばれていて、観世音菩薩の化身であるとされています。その下には、18人がしがみついています。これには伝説がありまして ……
そのお話とは … 昔、観世音菩薩をあがめていたシンハラという男がいた。ある日、航海中に難破したのち、美しい女に化けたラークシャシーの夫にされてしまった。
ある夜、部屋のランプから「あなたの妻は人喰い女ですよ」・「危険が迫っているので、海辺で待っているウマに乗って逃げなさい」・「ただし、向こう岸にたどり着くまで決して目を開けてはなりません」と忠告を受ける。 彼は仲間たちと、そのウマにしがみつき、逃げたのです。 ウマは天高く駆けて行き、忠告どおり目を開けなかったシンハラだけが助かったというのです。このウマこそ「観世音菩薩の化身」ヴァラーハだったというのです。 次に案内されたのは「タ・ケウ寺院」・「クリスタルの古老」という意味をもつ「タ・ケウ寺院」は、アンコール・ワット造営の試金石として建てられたとされています。 この寺院は、ジャヤヴァルマン五世によって 11 世紀初頭に造営が始められたが、王の突然の死によって、石材を積み上げた状態の、未完成のままに放置されているそうだ。
四方に副祠堂のある 5塔主堂型の平面構成をもつ寺院となっていて、ピラミッド式寺院の周囲に回廊を組み合わせるという、新しい造形への挑戦がなされている遺跡だそうだ。
完成されていれば、ピラミッド式寺院の中でも、造形上優れたもののひとつに数えられたであろうとのことであった。 伽藍を取り巻く回廊の外観部に偽窓(にせまど)、内部には採光や通気性のある真の窓を配しています。
こうした窓の構成が、この遺跡に全体として、堅苦しい雰囲気を漂わせていると言う人がいた。 さらに、第一層目に、柱列の並ぶ回廊がないことや、連子窓から光が入り込まないため、閉鎖的な印象を与えているのと言うのである。
ほかの遺跡とはちょっと違う雰囲気の「タ・ケウ寺院」でした。
そして、遺跡の最後の観光には「バンテアイ・クディ」に案内された。
遺跡のあちこちには物売りの子供たちがたくさんいるが、カンボジアの物売りの子供たちは、それが控えめで、こちらが断っても、大きな目でニコっと微笑んで「バイバイ」と手を振ってくれる有様です。 なので何とも切なくなり、できれば何か買ってあげたいと … ついそんな気になります。
この遺跡でも、樹の根がまるで蛇のように、石のうえを這っている。
一番外側の外壁は、東西700m南北約500mという規模の大きさである。 寺院全体の構成は、バイヨン寺院の形式と共通していて、四重の周壁で囲まれた中に伽藍がある。 ラテライトの周壁で囲まれた東塔門を入ると、テラス、東楼門・踊り子のテラス、前柱殿・中央祠堂などの諸建築が東西軸上に並んでいる。 中央祠堂は、砂岩やラテライトの周壁で囲まれているが、設計変更もしくは増築されたとみられている。 クメール建築では増改築が頻繁に行われており、造営時の状況に復元することは何とも難しいことだそうだ。
ここでも、ヒンドゥー教様式と、後の仏教様式が混ざり合っている。 中央祠堂の壁面では、彫りの深いデバターが、きれいに残っていて、その美貌を競い合っているかのようでした。そうしたデバターに光があたると、いっそう輝きを増して魅力的です。 踊り子のテラスでは、ハスの花の上で踊るアプサラのレリーフが柱を飾っています。「僧房の砦」という意味があるこの遺跡は、もともとヒンドゥー教寺院として建てられ、その後、仏教寺院に改造された。さらにその後、僧侶が生活するために、回廊などが改造されています。 回廊にはリンガ(男性のシンボル)、塔門内には、後世に持ち込まれた仏像が安置されており、外側の周壁の内側も散歩できるようになっています。
内部は、迷路のような構造になっていました。
ここで、アンコール遺跡群の観光を終えるにあたって、少し書き記しておきたいことがあります。 それは、カンボジアの人々が長年にわたり、自分たちがカンボジア人であると、何をもって意識しているのか ?? … についてです。
その具体的なイメージは、まず一つは、昔からの王国の存在・そして共通語であるクメール語・大湖・大河・大平原の中の村落での生活・仏教寺院の存在・そして、祖先が建立した石造りのアンコール遺跡群が各地で見られるという風景などに、人々は自分たちの国であるということを、しっかり認識しているのです。 悲しいことに、ごく最近まで、民族の存続の危機に会ってきたにもかかわらず、その文化と魂は、しっかりと継承され、カンボジア人の血の中に、ずうっと流れ続けているのです。 そしてそれは、カンボジアの人ひとりひとりの誇りなんですよね。
カンボジア人にとって、遺跡は単なる石造建築物ではなく、祖先との出会い、祖先とのつながりを果たしてくれる存在なのですよね。
今回の旅行中、アンコール地域の南にある「トンレサップ湖」に足を延ばして来ました。
シェムリアップからわずか南へ6km行くと、トンレサップ湖に着きます。
このトンレサップ湖は、人々にさまざまな淡水魚や自然の恵みを与えているそうです。
カンボジアの中央に位置するこの大湖は「伸縮する湖」といわれていて、乾季は約 3000 ㎢ の大きさだが、雨季には約 3 倍の約 9000 ㎢ の面積にまで膨れ上がるそうですから驚きです。
約 300 種類の淡水魚が生息し、東南アジアで最も淡水魚の種類が多いと言われています。 そんな「トンレサップ湖」までの道沿いの大自然の中に、人々の生活が、昔ながらの牛車や高床式の家々が目に入ったものです。そうした暮らしぶりは、バイヨン寺院の回廊の浮き彫りにあるものと、今も何ら変わらないことに気づかされます。 そして … 今の世の人々の笑顔もまた、遺跡に描かれているアプサラ(天女)や デバター(女神)とまったく同じ、美しいほほえみです。
「下の写真は、アプサラの踊りを練習をする子供たちです ↓ 」 シェムリアップは、首都プノンペンから北西へ約250km、飛行機で約50分ほどの処に位置していて、トンレサップ湖の北側にある町です。 この小さな町が、アンコール遺跡群の観光拠点となっています。 年々、ホテルやレストランが建設・改築され、町の様相も急激に変化しつつあるとのこと。 それにしても、町の中心部だけなら、半日もあれば、歩いてひと回り出来ると聞きましたよ。
なぜだか、安らぎに似たホッとする感覚に包まれる、そんな町です。
夕食は、「ソカ・ホテル・アンコール」の「たけぞの」という日本料理レストランで戴くことになりました。このホテルは、シェムリアップの中でも、ベスト 3 にランクされるほどの高級ホテルらしいです。 店内に入ると、お座敷や掘りごたつ … まるで日本にいるかのようです。出された料理はご覧のとおり、完璧な和食です。 さすが高級 HOTEL には入っている料理屋さんって感じで、天ぷらもカラッと上がっていて美味しいし、どれも味はしっかりしていました。 また、地元のアンコール・ビール … とても美味しいです … が、街中のレストランで飲めば 2~3ドル程度なのだそうですが、ここで飲むと 6ドル程度と、料理ともども、高級ホテル並みのお値段と高くなります。 それにしでも、日本料理にほっと満足して、夜7時半・宿泊しているホテルに戻ったのでした。
これまで見て下さって、ありがとうございました !!
また次回にお会いしましょう …