2013 スペイン・ポルトガル周遊10「第7話」
2013「スペイン・ポルトガル周遊10」
第 7話「セビリアの市内観光」と「エボラ観光」そして「リスボン」へ
早いもので、旅も7日目となった。 今朝は、am 07:30 から朝食、そして、am 08:30・ホテルを出発する予定 … ゆとりのある朝です。
4月24日・空は雲一つない快晴・半袖シャツ一枚で何とかOK … でも、かなりひんやりとしています。
今朝は、セビリアの市内観光から始まります。 中世から港湾都市として栄えたこの街は、福岡県と同じくらいの面積だそうで、人工がおよそ130万人だとか。
オペラ『セビリアの理髪師』の舞台として知らている街でもある。 スペインでも有数の観光都市として、一年中にぎわうセビリアだそうです。
このセビリアは、大西洋岸から90kmほど入った陸地にありますが、街中を流れる大河「グアダルキビール川」のおかげで、海運ルートが太平洋とつながっています。
イタリアのジェノヴァ商人が、貿易の拠点をおいて積極的な活動を行い、中世より港湾都市として栄えました。
現在は、スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、スペイン第4位の都市となっています。 そして闘牛やフラメンコの本場でもあります。
この町が、ジブラルタル海峡を渡って来たモーロ人に征服されたのは712年のこと。以降500年以上にわたり、セビーリャは、イスラム文化繁栄の舞台となったのです。この時代に建造された「ヒラルダの塔」や「黄金の塔」などは、現在も残るイスラム建築です。
レコンキスタが圧倒的な勢いで拡大した13世紀中頃、セビリアからイスラム勢力が一掃されてしまいます。 その後、キリスト教徒によって、セビリアは、新たな躍進の時代を迎えるのです。
さて、案内されて「スペイン広場」に入りました。 このスペイン広場は、セビリア市中心部の南寄りにある広場です。
遺跡の様に観えるここは、かつて、サン・テルモ宮殿の庭園の一部だった「マリア・ルイサ公園」の中に、1929年にセビリアで開催された万国博覧会「イベロ・アメリカ博覧会」の会場施設として造られたものだそうです。 パビリオンとして建てられた広場内の建物は、セビリアをはじめアンダルシア地方の、典型的な建築様式であるムデハル様式を取り入れたもので、全体が見事な半円形を描いています。 建物の両翼に半円形に延びる回廊と、スペイン各県の歴史的出来事を紹介するために、色鮮やかなタイル絵で描写されています。
ここは、映画のロケで使われた例が2つあるそうです。
一つは『アラビアのロレンス』で、英軍が逗留するカイロのホテルとして・そしてもう一つは、映画スター・ウォーズ エピソード2で、アナキン達が惑星ナブーに着いた直後のシーンだったそうである。
ペルーから来て、生演奏しているフォルクローレに出会いました。素朴な演奏なのに、その響きは実に素晴らしく、つい魅き寄せられて、CD 2枚を購入したのでした。
スペイン広場の観光を終え、次に見えて来たここは、大聖堂(カテドラル)です。 1403年から約100年を費やし建設された、ルネサンスとゴシックの混合様式の巨大寺院です。 バチカンのサンピエトロ大聖堂を除くと、カトリックの大聖堂としてはトレド大聖堂とともに世界最大級なんだそうです。
中世、イベリア半島がムーア人(イスラム教徒)に支配されていた時代には、ここに巨大なモスクが建っていたといわれる。 そのため、現在の大聖堂には、かつてのモスクの名残がいくつか見られ、「ヒラルダの塔」と呼ばれる鐘楼は、もとはモスクの尖塔「ミナレット」だったとか。「上の写真の右側の高い塔」 上の写真は、子供たちの笑顔があまりにも素敵で、撮らせてもらったものです。
次に訪れたのは「セビリアのアルカサール」
… アルカサールは、スペイン王室の宮殿です。
14世紀、ペドロ1世の命により、イスラム時代の宮殿の跡地に、ムデハル様式で建設が始められたとのこと。
グラナダのアルハンブラ宮殿を意識した構造になっています。15世紀から16世紀にも増築されたため、ゴシックやルネサンスなどの様式も混じっているとのことでした。 アラビア風の美しい庭園も素晴らしかったし、至るところに刻まれてあるアラベスク模様には、圧倒されました。
有名な「乙女のパティオ」は、アルハンブル宮殿を彷彿させてくれます。 ムデハル様式の代表建築だそうで、透かし模様の多弁形アーチ、52本の大理石柱、アラベスク模様などを観ることができます。 パティオを囲む「大使の間」・そして、建物の隅々まで、気の遠くなるような繊細で美しい幾何学模様が、彫られているなど、細密な装飾に圧倒されます。
そして「ライオンの門」 … 赤の色がとても素敵でインパクトがあります。
こうして「セビリアの市内観光」が終わった後、am11:20・エボラへ向けて・4時間30分 / 260 km・の移動となったのです。
pm 2:00 頃・昼食のレストランに到着です。 ランチのメニューは、スープと鶏のモモ肉の煮たものです。 食事後 pm 2:45・このレストランを後に、バスは再び走り出す。ここから30〜40分ほど走るとそこは、ポルトガルとの国境となるそうだ。
こうして、pm 3:10 頃・ポルトガルに入ってのトイレタイムとなった。 気が付けば、ここポルトガルのトイレは、便器の高さが、日本と同じくらいにまでに、低く造ってあります。
ここを、pm 3:20 頃に出発し、16:00 頃には「エボラの町」に入りました。 エボラは、人口およそ 6万人で、ポルトガル南東部のアレンテージョ地方エヴォラ県にあり、スペインとの国境に近い町です。
ローマ帝国時代からアレンテージョ地方の中心地として栄え、ルネサンスの時代には、大学もおかれた学芸の都でもあるそうです。 そして、1584年9月には、日本から、伊東マンショらの天正遣欧少年使節が立ち寄った街である。 1582年(天正10年)にキリシタン大名・大村純忠らの名代として、ローマへ派遣された伊東マンショら 4少年を中心とした天正遣欧少年使節は、日本人として初めて公式にヨーロッパに渡り、当時のヨーロッパの人々に日本の存在を知らしめました。
彼らはポルトガル、スペインで歓迎を受け、さらに最終目的地のローマでは、教皇グレゴリオ13世に謁見し、使節としての使命を立派に果たしました。
そして8年半後の1590年に日本に帰国、グーテンベルグ印刷機など、多くの西洋の文化や品々を持ち帰りました。そんな天正遣欧少年使節も訪れたここ「エボラのカテドラル」に入場しての観光が始まったのです。 ポルトガル中南部のやや東寄り、小都市エボラの旧市街にあるバラ色の花崗岩でつくられた重厚な聖堂です。
中世ポルトガルの大聖堂では最も大きく、有数の文化資産の一つである。 エボラは1166年、ムーア人(イスラム教徒)から奪還され、キリスト教徒の支配に移ったが、その少し後の1184~1204年にかけて、聖母マリアに捧げる大聖堂としてロマネスク様式で建設された。 1584年には、日本の天正少年使節がこの大聖堂を訪れ、パイプオルガンの演奏を披露したといわれている。
エボラ大聖堂のほか、ディアナ神殿、ロイオス教会、サンフランシスコ教会がある城壁に囲まれた旧市街全体が、世界遺産に登録されている。
次に訪れたのは、ディアナ神殿です。 ここは「エボラ」の城壁に囲まれた旧市街の中にある「古代ローマ時代の神殿遺跡・ディアナ神殿」です。 紀元前57年、エボラは共和制ローマの支配下に入った。その後、皇帝アウグストゥスを祀るために建造されたのがこの神殿で、2世紀末から3世紀にかけて「月の女神ディアナに捧げる神殿」として改築されたそうです。良好な保存状態で、14本のコリント様式の柱や柱頭彫刻が残っています。この神殿跡の隣には、15世紀に建造されたロイオス教会がありました。 この旧市街の観光を終えて、バスに戻ろうとしている途中で、若い日本人の青年とばったり出会ったのです。 立ち話をすると、9年前・北海道からこの街に来て、日本語を教えながら、その片手間に、ある日本の商品の販売とPRをしているとおっしゃるのです。
とても行動的な彼らを、羨ましく思ったものです。 pm 5:25 頃・このエボラの町を後にして、リスボンへ向け・再び 2時間 / 130 kmのバス移動となったのです。
ポルトガルの首都で、同国最大の都市であるリスボンが近づきました。 ようこそリスボンへ … そこで、ヨーロッパでも指折りの古都の一つ、リスボンの豊かな歴史を辿ってみましょう。 西ヨーロッパの沿岸部に位置するリスボンは、古くからの歴史と近代性が入り混じる魅力的な都市だそうです。 リスボンの人口は、およそ300万人だそうで、欧州連合域内では11番目に大きな都市圏だそうです。
リスボンは、ヨーロッパでは大都市として、最も西にある都市で、同様に最も西側にある首都です。
南ヨーロッパでは、イスタンブル、ローマ、バルセロナ、マドリード、アテネ、ミラノに次いで 7番目に多くの観光客が訪れる都市だそうです。世界的にも古い歴史がある都市の一つで、西ヨーロッパでは最古の都市であり、現代のヨーロッパの他の首都であるロンドンやパリ、ローマなどよりも、数百年も遡るそうです。
このポルトガル王国が,7つの海を制したと言われるほどに繁栄を極めたのは、15世紀に始まる大航海時代でした。 ポルトガルは,エンリケ航海王子が、アフリカ西岸の探検航海を指揮したのを皮切りに,南アフリカの喜望峰到達,インド航路開拓,ブラジル発見などを次々と成し遂げ,大航海時代の先駆者となりました。
やがて東南アジアや中国のマカオにも勢力を拡大し,ポルトガルは香料貿易を独占して巨万の富を得ることに成功しました。こうして16世紀前半のリスボンは,世界最大級の都市にまで発展したと言うのです。
ポルトガル人が、日本に初めて到来したのも大航海時代でした。
1543年,ポルトガル人が種子島に漂着し,鉄砲の技術を日本に伝えてくれました。日本との出会いは室町時代からです。
「日本とポルトガルには470年にもわたる友情がある。世界の国家の5分の4は、この半分にも満たない歴史しか持っていない」と、日本とポルトガルの特別な2国間関係を訴えた人がいます。その人はつい先日・来日したポルトガルのポルタス 外相 です。
20:05頃・リスボンのホテル「リスボン・マリオット」に到着です。 ここには(2連泊)となります。 部屋に荷物を入れて後、20:20 にホテルを出て、バスで、夕食のレストランへと移動することになりました。
そのレストランの場所は、新しいリスボンのウォーター・フロントです。
ここは、カフェやレストランやディスコなどのナイトスポットが並び、地元の料理を楽しむとともに、美しい夕日を眺められるスポットでもあるそうです。 夕食は、カタプラーナ(魚介類のワイン蒸し)。それに、ワイン(2.5€)2杯と地ビール300ml(4€)1本を注文して、飲物の合計は少しのチップを加え、丁度 10 €となりました。 こうして満足な食事を終え、ホテルに戻ってバタンQとなりました。
今回もご覧下さいまして、ありがとうございました。
次の「第 8話」でまた…お逢いしましょう !!