■エジプト・アレキサンドリア入港【第8日目】・(平成22年)2010.2月27日
【ギザ・ピラミッドを訪ねる】
今朝も14デッキの「ボラボラカフェテリア」で元気な朝食となったが….ご覧のとおり、私の皿には何かが足りない….そう ! 「野菜」です。「栄養のバランスを考えては ! ….」と、横から聞こえてきそうです。 さて、今日の寄港地観光は「ギザのピラミッドとエジプト考古学博物館」である。
下の写真は、船の15階デッキの最後部にあるプール….朝陽が当たってきらきらでした。
プールの水面をよ〜く観ると…..船が揺れているのが判りますよ….。
船は、カイロに次ぐエジプト第2の都市・アレキサンドリアにam8:00丁度に入港する。
アレキサンドリアは、典型的な地中海都市で、ヨーロッパ各地から毎年、たくさんの観光客が押し寄せるそうだ。
アレキサンドリアは、紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街で、大王の死後、プトレマイオス新時代に首都がおかれた。
そして、アレキサンドリアは、地中海の文化の中心地として全盛期を迎えるのである。その王朝最後の女王が「クレオパトラ」だ。
アレキサンドリアには、2つの港がある。どちらも古代からの港だそうだが、1つは、西側にある「ユノストス」で、貿易港として利用されているらしい。そして私たちの船が入港する東の大きな港は、観光客の為の拠点となっている。
今日の私たちは、船が企画した寄港地ツアーに参加することになった。それが「ギザのピラミッドとエジプト考古学博物館」の観光である。
朝食を終えて、アフトラウンジに行き、ツアーのチェックインを済ませる。このツアーに参加する日本人は6名となった。 今日はこれから、船に帰り着く予定の夜の9時頃まで、英語のシャワーの中となる。天気は晴ているが….英語が気になり、気分は薄晴といったところ。期待と不安が入り交じった待合の時間であった。
私たちを乗せたバスは、アレキサンドリアの港を出て、カイロに向けてひたすら南下して行く。今は2月というのに、車内にはクーラーがガンガンと効いている。高速道路はどこまでも直線。これからおよそ3時間ほどのバス移動となるのである。
ここ西方砂漠の気象と地形に少しふれておきたい。西方砂漠とは、ナイル河の西側に広がる砂漠のことです。気候はとても乾燥した砂漠気候で、砂漠の暑さと乾燥度は、私たちがイメージするエジプトである。砂漠の気候は、1日の温度差が大きいことも特徴で、日が沈むと急激に寒くなるそうだ。
世界でも、最も降水量の少ない地域で、時には20年以上も雨が降らないこともあるとか。
だから、西方砂漠には、ワーディと言う涸れ谷がなく、地形は平坦で砂丘が多い。また西方砂漠には、窪地が多い。場所によっては周辺より400㍍も落ち込んでいて、海抜0㍍以下になることもあるとか。この窪地の下には地下水がたまり、農業や牧畜を行っているそうだ。
およそ3時間のバス移動をして、ギザに着いた。
エジプトの定番のスポットに着いた。初めて観る「ギザの三大ピラミッド」と「スフィンクス」は、迫力があった。
世界に名だたる有名な「三大ピラミッド」は、エジプトの首都「カイロ」から西へ13㎞の「ギザ」にある。 エジプトには、ギザのほかにも大小無数のピラミッドがあるが、こうしたピラミッドの建築工法の粋を尽くして完成したのが「ギザの三大ピラミッド」なのである。
このギザのピラミッドは全部で三つ。最大規模のものが「クフ王」の墓(右側)で、真ん中のものがその息子の「カフラー王」のもの・そして、左側が、そのまた息子の「メンカフラー王」の墓となる。
紀元前2600年に建てられたクフ王の大ピラミッドは、146㍍(479フィート)の高さを誇り、平均2.5トンの石を230万個も積み上げて造られている。 ピラミッドの一番下の基底部の石には、なんと15トンを越える石もあるというから驚きである。カフラー王のピラミッドは、高さは2番目だが、高台の上に造られているために、人間の目には一番大きく見える。
この大きさ・偉大さを体感できて、古代エジプトの神秘的なものを感じずにはいられなかった。
古代王朝時代に盛んに建造されたピラミッドは、その後も造り続けられたが、古代王朝時代のように巨大なものは造られることはなかったそうだ。
中王朝時代には、それなりの規模のピラミッドが造られたそうだが、その建築方法は雑になり、以前のものには及ばなかった。
材料もこれまで使用されてきた石に代わり、日干しのレンガが使用され、崩れやすくなったとか。
そうしてピラミッドの建設は衰退していったそうである。
世界の七不思議の一つと言われたピラミッドは、近年内部に新しい部屋が発見されたりと、まだまだ発掘や研究の途上にある。
何しろ、4,500年もの前の建造物なので、未知の部分も多く、ロマンは一層広がると言ったところか。
「クフ王」のピラミッドの傾斜角度は、51度50分であるのに対して、「カフラー王」のピラミッドの角度は、53度10分とさらに急角度に造られているそうだ。
このピラミッドの特徴は,大スフィンクスが付属していることである。 そのスフィンクスの高さは20㍍・長さは57㍍あり、巨大な天然の岩山を基に彫刻されているのである。
上下の写真は、幼い現地の女の児が撮ってくれたものだ。あれこれと、私たちにポーズをつける….最初のうちは、いったい何を撮ろうとしているのか判らなかった。撮れた写真を確かめて見て、なるほど ! … と納得…..ご覧のとおりです。 バクシーンは要求されなかったが、たしか 5 ユーロを渡した。
パノラマポイントまで歩いて観た。 そこからのピラミッドの眺めは素晴らしかった。
ギザ台地の岩盤から彫られた有名な「スフィンクス」….ライオンの胴体・王あるいは神の頭部を持つスフィンクスは、力と知恵の象徴と言われている。
実際にピラミッドの周りを歩くと、その素晴らしさ、神秘性・王様の権力の偉大さがよく分かる感じがした。
何のために造られたのか、未だ確実な説のない不思議な巨大建築物ピラミッド。
様々な説があるが、ファラオの墓というのが一般的に知られている。しかし実際のところ、ピラミッドの中に、ファラオのミイラが発見されたことは無いそうで、やはり不思議。
そして、その建設方法も推測の域。あんな巨大な石を、140㍍近くまで積み上げ、その形も正確性を保っているというのだから….。まさに謎に満ちたピラミッドである。
これには、少し知識を持った上で観に来るべきであったと反省したものだ。そうすれば、さらに面白い見学になったに違いないと。
観光客と記念写真を撮って稼いでいる民族衣装の人々、ラクダに乗り、団体の観光客にエジプシャンが群がる。ここでは、はがき売りや水売り・土産物売りが、手をのばして一生懸命に観光客に声をかける。私たちには、幼い子供二人が近づいて来た。お世辞にも綺麗とは言えない「絵はがき」を買ってやった。
現地の警察が、ラクダに乗って警備していて、観光客にしつこくつきまとう客引き達を追い払っていた。
ピラミッドの観光を終えて、バスでカイロの街へと移動してゆく。 車窓から、市民の生活が少し垣間見えた。
ほこりだらけの街をバスは走り、昼食の会場となっているホテルに到着した。
ホテルに着くと、どこからとなく…..この街の人々が、気軽に “ Welcome ! ”・“ hello ! ”
“ Japan ! ” と声をかけてくる。一人ひとりに「ショクラン(ありがとう)」と言って返事をしていたら切りがないくらいである。 しかもなぜか、日本人だけに声をかけているのである….エジプトの人たちの中には、親日家が多いと後で知らされた。
ホテルの玄関では、民族衣装をつけた楽師たちが、歓迎の音楽を演奏してくれていた。
このホテルの1階のレストランに案内された。 バイキングスタイルのランチとなる。
エジプトの料理は美味しいから、食べ過ぎてお腹を壊さないようにと聞いていた。 その通りに実に美味しい ! ….それに、懐かしい日本のおこわのような「ご飯」がある。嬉しくなり、忠告を忘れてついつい食べ過ぎた。
いま、外気温は21℃….Tシャツの上に半袖のシャツと薄めのセーターを着ているが快適である。私たちは、ベストシーズンに来たのだと思った。
十分に満足したランチを終えて、暫くロビーで休憩となった。 これからバス移動をして、ピラミッドとエジプト歴史の宝物12万点以上が収められている「エジプト考古学博物館」に向かうことになる。 そのお話しは次の「第8話」で…..。
今回も、お付き合い戴きまして ありがとうございま〜す。
地中海・エーゲ海クルーズ17・2010(7) への4件のフィードバック