地中海・エーゲ海クルーズ17・2010(15)

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イタリア・ジェノバ入港【第14日目】・(平成22年)2010.3月5日
 【下船してミラノ観光
 朝の9時にジェノバ港で船を降り、高速道路を走っておよそ2時間30分でミラノ街に着いた。 そして、中華レストランでお昼をとった後、免税店に案内された。 そうして、ここスフォルツェスコ城に着き、時間の関係で城門の前からの観光となった。
 私たちは、3年前にここを訪れたことがある。その時は、城内の見学をして、このお城の真裏の公園に出た。少し気温が高かったこともあって、そこで食べたジェラードがとても美味しかったことを想い出していた
 このスフォルツェスコ城は、レオナルド・ダ・ヴィンチも建築に加わったという
 この中には、ミケランジェロが死の数日前まで制作し続けていたと伝えられている「ロンダニーニのピエタ」など必見の美術品がある
 
 このお城の中は、幾つかに分かれた市立博物館となっている。城内の2階には、絵画ギャラリーに楽器のコレクション・地下にはエジプトの遺物を展示した考古学博物館などがある
 この城の裏にはセンピオーネ公園があり、緑の多い公園なので、樹の下のベンチを確保して、ピクニック気分でランチをとるのも良いかもしれないと思ったものだ。 
 ミラノを象徴する美しいヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの入口前に、スカラ座広場がある。レオナルドの像の正面の建物が、オペラの殿堂スカラ座である。(上右の写真) 1778年にサンタ・マリア・デッラ・スカラ教会の路地に建てられたが、現在の建物は1946年に再建されている。内部には、スカラ座博物館もあるそうだ。
 
 この広場に立つレオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年、イタリアはトスカーナ地方のヴィンチという村で生まれた。すなわち「ヴィンチ生まれのレオナルド」と言うことになる。
 私生児であったが、そのために不遇のもとに育てられたということもなく、父や家族達に可愛がられたようである。
 レオナルドは、長ずるにつれ絵画や彫刻の分野で大きな才能を発揮してゆき、やがて当時の有名な画家・ベロッキオのもとに弟子入りし、本格的な絵画の修行をスタートする。
ここから、レオナルドは「万能の天才」への道を駆け上がってゆくわけだ

 レオナルドは、ラファエロ・そしてミケランジェロと並ぶ、盛期ルネサンスの三大巨匠の一人である

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア

ミラノを象徴する美しいガッレリアである。
 ドゥオーモを背にして右側は、高く美しいアーチ型ガラス天井のアーケードが、スカラ座へと通じている。
 1877年に完成したこのアーケードは、天井付近の絵画・舗道のモザイク模様と、いずれも見事なものである

 道の両側には、カフェやレストラン・書店やハンバーガーショップまであり、憩う市民・観光客でいつも賑わっている。


 このガッレリアの十字路広場の舗道の一部に、右下の写真のように見事なモザイクが施されている。 そのモザイクの中心に、靴のかかとを置いて一回転すると,幸せになるという言い伝えがある。
 そう聞いた皆さんが、かわるがわるに回っていた。
 
 世界最先端のファッションの発信地・それがここミラノである。さて、世界も認める「ミラノ・ファッション」をひとつぐらい自分の物にして帰りたいと言う人にアドバイスをするとするなら…..だいたい、イタリアの専門店で、並んだ品物をいじったり手に取ってみるなんてことは、不可能に近い。 店に入ると「どんな形の、どんな色」が欲しいのかという、質問が待ち構えているのだ。買いたい物が決まっていない人には、売るべからずなのである。ご用心を !! 。

 ミラノには、訪れた者を魅き付けて放さないふたつのアートがある。ひとつは、何百年もの歴史に培われてきた建築物や芸術作品群だ。
 ゴシック建築の最高傑作ドゥオーモに始まり、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」にいたる数々の歴史的遺産は、ヨーロッパにおけるキリスト教の歴史の一端を物語っている。
 そのスケールの大きさには、人々を感動に震わせ、ときには度肝を抜くこともあるだろう。
 そしてもう一つは、「ミラノ・ファッション」という言葉まで生んだ、世界最先端の流行に代表される、現代アートであるファッションである。

  右の写真は、彫刻家・ミケランジェロ初期の傑作「ピエタ」である。
 ミケランジェロは、ローマ滞在時、バッカス像と、このピエタの成功により名声を得て、芸術家としての地位を不動のものとするきっかけとなった。
 幾人の彫刻家が制作したピエタだが、若干23歳のミケランジェロが制作したこのピエタは、死せる息子キリストを抱える聖母マリアの悲しみに満ちた表情や筋肉・衣服の細密な描写など、それまでに彫刻されたピエタの表現を遙かに超えたものであったのである。この前に立つと、ただただ….ため息だけ。

 街の中心に構えるドゥオーモは、街のシンボルであるとともに、ミラノの町のヘソにもあたる。
 ゴシック建築の大傑作であるドゥオーモは、135本もの尖塔が天を突き刺すように延びている
 14世紀後半に着工され、正面の完成をみたのは19世紀の初めで、ナポレオンによってであったそうだ。内部は非常に広く、ひんやりとして薄暗く、荘厳な空間となっていた。
 その中にいると、ここが一大ビジネスの都市の真ん中であるということを忘れてしまうほどであった。天井高く仰ぎ見る、美しいステンドグラスは、見る者のため息を誘う。
 今回私たちは上がれなかったが、ドゥオーモの屋上に出ると、尖塔に囲まれた屋上となっていて、尖塔とそれに付随するおびただしい彫刻が間近に見ることが出来ると聞いた。
 今日のように、天気に恵まれた日には、本当に気持ちのよいところみたいで、広場を始め街を鳥瞰的に眺めるには、もってこいのよいところだろうなと容易に想像できた。

 ヨーロッパのトイレ事情といったら、日本人男性「特に私たちのような高齢者」にとっては、かなり不便である。
 たとえ、公衆トイレがあったとしても、そのほとんどがお金を出さないと入れない。しかも、その公衆トイレの数は、非常に少なく、初めて訪れる街中で、それを探すのは不可能に近いのである
 ここガッレリアの十字路広場のかどにマクドナルドの店が見つかった。この店に入って探すと、店内の奥まった目立たぬところにそれはあった。取り敢えずトイレを済ませる。ほっとして私はエスプレッソを、家内はカプチーノを注文してひと休みしたものだ。


 ここの観光を終えて、今晩の宿泊地「コモ」までは、バスでおよそ1時間弱の移動となる。
 道路が少し渋滞をしている中、コモ湖の山際の中腹に建つ建物群が見えてきた。コモにはシルクの工場がたくさんあるらしい。水が豊かな湖水地方だからであろう
外気温は4℃と低い。少し遅れの pm 5:30 にホテルに到着した。

 
 部屋の鍵を貰って探すが、なかなか部屋に行き着けないのである。通常のホテルのように、部屋の番号が並んでいなくて、まるで迷宮のようであった。
 暖房はスチーム式で、床は木である。なんとも落ち着いた雰囲気で、ヨーロッパの宮殿みたいな感じでしたね。
  METROPOLE  SUISSE という四つ星のホテルである
 
 お待ちかねの夕食は 7時から始まった。
 クルージング最後の夕食・すなわち昨夜は、時化で船が揺れてまともな食事が出来なかっただけに、今晩の夕餉は誰もがお待ちかねなのである。
 

ホテル内の1階にレストランはあった。どの顔にも、長いクルージングを終えてほっとした様子の笑顔がこぼれている。
 船での食事とはまたちょっと違って、どれも美味しい。ついつい、ビールにワインがすすんだものだ。
 ほとんどの旅行者が、身体が揺れていると言う。….実は、この身体の揺れ…私の場合、日本に戻ってからも一週間ほど揺れ続けたのですから驚きでしたよ。
 
 明日は、いよいよ帰国の途….
 旅は行くも良し、帰るもまた良しですね。 食事中の皆さんの話題には、日本への想いがいっぱいでした。
 
 さぁ ! ….今夜は揺れる心配のない…ここは陸の上、無事の帰国を夢にでも見ながら
 おやすみなさ〜い !!

 
 ではまた、次にお会い
       しましょう。

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