■クレタ島・イラクリオン入港【第10日目】・(平成22年)2010.3月1日
【迷宮クノッソス宮殿を訪ねる】
今日も嬉しい晴。朝食を前にした早朝の時間帯は、deck には乗客の姿が少ない。その静寂さと、朝の澄みきった空気がとても新鮮で心地よい。そうした中、15階のデッキを船尾から船首までゆっくり往復する。 そしてキャビンに戻り、洗面と身支度をととのえる。
夜明けはまだだと言うのに、deck 14 のレストランには、すでに多くの乗客たちが朝食を楽しんでいる。
今日は、ギリシャ・クレタ島の寄港地観光が予定されている。どんな景色の中、人々はどんな顔をして、どんな服装で…..どんな暮らしと出会えるのか、楽しみである。
朝食を済ませ、キャビンに戻って下船の仕度をした。
本日am 8:00 に入港する「クレタ島」の面積は、兵庫県とほぼ同じだそうだ。 エーゲ海の中では、最大の島でギリシャの南端に位置している。地中海全体で見ると、5番目に大きい島となる。
この島の、わずか300㎞先には、アフリカ大陸が広がっている。
オリーブは、全ギリシャの収穫高の半分をこのクレタ島で生産しているそうだ。
クレタ島は、ギリシャ文明の発祥の地でもある。 紀元前7000年〜紀元前6000年頃、クノッソス宮殿を始め、華麗な宮殿が建てられ、ミノア文明の花が開いたという。
その当時の、世界最高水準の文明をもっていたというから驚きの島なのである。
クレタ島は商業の中心地であり、ギリシャで一番裕福な都市「イラクリオン」は、クレタ島の北海岸に位置する。
「イラクリオン」は、観光客にとって、クレタ島で一番有名な観光地であるのと同時に、クノッソス宮殿への拠点ともなっている。 船は「イラクリオン港」に入港してゆく。
これからクノッソス宮殿の観光が始まる。
クノッソス宮殿に着いた。 ここに来てみると、紀元前2,700年頃の宮殿が復元されていて、想像以上に生々しく保存されているのには驚く。 この遺跡は、ほかの遺跡と違っていて、城壁がまったくない。古代の平和な時代を思い起こさせるかのような不思議な遺跡である。
この巨大で古い建物は、一辺が160㍍で、中庭を配した王宮と神殿から成り立っている。
4階建ての部分もあり、部屋の数は1,200以上あったであろうと推定されている。この複雑な構造だが、太陽の光が採り入れられるように設計されている。一番下の階は地下であるが、大広間となっており、光はそこまで入っていた。
浴室には、女王が使用した浴槽があり、浴室の隣には水洗トイレがあった。今から5,000年ほど前の時代に、こんなに進んだ暮らしがあったとは信じがたい驚きであった。
それだけではなく、この宮殿内には、すでに排水溝や上水道の水道管が設置されていたのを目のあたりにして、びっくりだった。ミノア文明….高度な文明を持った人たちが住んでいたことを証明していた。
クノッソス宮殿は、イラクリオンから続くなだらかな丘陵地にある。宮殿は中央広場を取り囲むようにして、さまざまな用途の部屋が複雑に展開している。先にも述べたように、宮殿は、不思議なことに周囲を取り囲む一切の防御施設を欠いている。
当時の王権は、強大であり、エーゲ海のほぼ全域を支配下に収めていたから、防御が必要なかったという説もあるが….はたしてどうだったか ? ….依然として謎に包まれている。
この遺跡は、王の居住地であると同時に、祭祀施設・工房・倉庫・劇場などなど、さまざまな要素が複合したもので、見方によってはひとつの「小都市」と呼べるような存在であったとも言われている。
クノッソス宮殿の遺跡を観光終えて、その出口に休憩所があった。
そこには、オレンジの搾りたてのジュースが売られていた。遺跡巡りを済ませたばかりで喉が渇いていて、このジュースがなんと美味しかったことか。そう言えば、アテネのアクロポリスの神殿を訪れた時も、同じジュースを飲んだのを覚えている。
イタリアもギリシャも、このオレンジジュースはどこで飲んでも実に美味しい。
クノッソス宮殿を後にして、バスでイラクリオンに戻り、城壁で囲まれた旧市街地に入った。エレフテリアス広場でバスを降りて、自由行動となる。
モロシニの噴水があるベニゼル広場の周りには、タベルナやカフェバー・スブラキやギロビタ・クレープなどを売る店が軒を連ねている。この広場から、路は五叉路になり、放射線状にのびていた。私たちは、左奥へのびる路1866通りに入って観た。ここは、バザールのように、店と人とがひしめき合う通りで、イラクリオンの市場通りであった。
この市場には、食料品だけでなく、メタクサと呼ばれるギリシャのブランディーや、ラキと言うテキーラのように強いクレタ島の地酒・おみやげ品なども安く売られていて、覗くだけでも楽しい通りである。 市場らしく、鍋・釜から日用雑貨・衣料品に至まで、暮らしに必要な物は無い物はないといった状況だ。
観光客にとっては、土産を買い求めるのにはいい場所だよね。
イラクリオンの市場の見物を終えて、ベニゼル広場に戻る。ここから再びディケオシニス通りに入る。この通りを真っ直ぐに進むと集合場所となっているエレフテリアス広場にぶつかる。
この通りには、たくさんのブティックや宝石店が並んでいる。この通りの中程に、美味しそうなジェラードの店があった。
ちょっとひと休みして美味しいジェラードを楽しんだ。
本場のジェラードは何回食べても美味しいものである。
■ここで、ギリシャ神話に登場する迷宮の話しの一部を書きとめておきたい。
クレタのミノス王は、強大な勢力をもつ王であると同時に、ゼウスの血を引く者と言われ、最高位の神官であった。ミノス王の妻パジパエは、牛頭人身の怪物「ミノタウロス」を産んだ。そして、この怪獣を迷宮と言われているクノッソス宮殿に閉じ込めたことから話しは始まるのである。
そこで、アテネに対して、この怪物の餌食として、9年ごとに7人の若者と7人の乙女を献上するようにと命じたのである。
アテネの英雄テセウスが、貢ぎ物メンバーの一人となってこの迷宮に入る。このアテネの英雄テセウスを見て一目惚れしたミノス王の娘アリアドネは、自分をアテネに連れ帰り、結婚をしてくれることを条件に助言を与え、その結果….テセウスは怪物「ミノタウロス」を退治し、無事に迷宮から脱出に成功する。
その助言とは….「糸玉の赤い糸を垂らしながら持ち歩き、帰りはその赤い糸をたどって戻ってくる」と言うもので、一度入ったら二度と出られないと言われている「迷宮」から、無事に脱出する方法がその「助言」だったのである。英雄テセウスは約束通りミノス王の娘アリアドネを連れてクレタ島を出たと言うお話しである。
クレタ島の観光を終えて、船に戻り、イタリア本場のロング・パスタを食べてみたいと、デッキ6階のレストラン「ラ・レッジャ」に入る。
このパスタは、日本で食べる物とほぼ同じ味である。ミートソースのパスタ、これ一品で昼食とした。一品料理とはいえ、パンはついているし、デザートは、果物とアイスクリーム。
何時ものレストランとはまた違った雰囲気の中で、味もボリュームも大満足の昼食であった。
昼食を終えて、deck 14 を散歩する。船首側から船尾までを往復するだけで、ずいぶん歩く。クルージングというのは、良く歩くことになる。 しかし、多くの人は、機械を使ったトレーニングや、インストラクターの指導によるエクササイズなどを受けている。 ….だけど、私には、船内を歩き回るだけで特別なトレーニングはいらない。
船はクレタ島のイラクリオン港を後に、pm 1:00 に出港して行く。 次の寄港地「マルタ島」までは532海里・969㎞の航海となる。
気温は19℃….暑くもなければ寒くもない….丁度良い気温である。 暫く船内を散策してキャビンに戻った。
今晩のディナーは、クルーズ最後のガラ・フォーマルである。
船は、午後4時から5時にかけて、アフリカ大陸を左舷側に観ながらマルタ島に向けて航行して行く。
シャワーを浴びて、フォーマルな服装に着替える。 ここに来るまでは、フォーマルが何とも堅苦しく想像していたが、きちんとした服装の人たちの中にいると、見ていてこちらまで気持ちよくなるから不思議だ。deck 6階 のレストラン「ヴィラ・ヴェルデ」で、エビ料理をメインとした特別メニューを戴く。…..美味しい ! 。
食事を終えて船内をまわると、色んなところでミュージックの生演奏が行われている。 そのジャンルも、ジャズをはじめ、カンツォーネ・フォルクローレにクラシック・ポピュラー・映画音楽 etc である。….どれも素晴らしい演奏ばかりである。
そうした生演奏を楽しみながら、乗客たちはワインやビールなど、思い思いの夜を楽しんでいる。 最後のフォーマルコードの日とあって、クルーたちもエキサイトしている感じが伝わってくる。
夜9時からシアターでショーを楽しんだのち、アフトラウンジに行く。乗客たちはお洒落してダンスを楽しんでいる。
私たちもその渦の中に入っていった。
今日も、外国の人たちからおおくの親切を受け、幸せな一日だった。いま夜の11時半。
明日は、午後2時に「マルタ島・バレッタ港」に入る予定。….なので、明日の目覚めはゆっくりでいい…..今宵は、乗客たちの多くが、時間を忘れてクルーズを楽しんでいるのである。
地中海・エーゲ海クルーズ17・2010(10) への4件のフィードバック