2013「スペイン・ポルトガル周遊10」
第5話 ラ・マンチャの風車とゴルドバ歴史地区の観光
旅の5日目朝・昨夜は一度も目を覚ますことはなかった。
今朝は、7時から朝食をとり・8時には ホテルを出発した。これから、ここマドリードを後にして、コンスエグラまで、バス移動が1時間・62kmの予定である。
バスは、大平原の真ん中を走っています。 朝陽が眩しいほど綺麗で、草原には、瑞々しく美しい緑と、菜の花だろうか ? … 黄色いお花畑が延々と続いています。
遠くの小高い山の上に、風車が立ち並ぶのが観えてきた。
9時20分頃だったか・コンスエグラの町のラ・マンチャの風車が建つ丘の上に到着した。
「ドン・キホーテ」の舞台となった「ラ・マンチャ地方」です。 ここ、ラ・マンチャの風車の村・コンスエグラは、マドリッドの南方120km・人口800人ほどの小さな町である。
町は乾燥し,赤茶けて見えました。
小さな町の坂道を、家の軒に触れそうになりながら,バスは小高い丘の上に向かう。
ブドウ畑の広がる平原の中の丘の尾根にそって、11基の風車と城が、並んでいます。 風車は、製粉のための施設なんですが,今はもう使われなくなっています。
風車の白い壁が、青い空に、アクセントを与えて美しい景色をつくり出しています。 ドン・キホーテは、この風車群を、巨人と見間違え、槍を小脇に、愛馬にまたがって突進したというのです。
視界は360度,隣の町まで見渡せます。 イベリア中部のこの地帯は,昼夜の気温差が大きく夏は暑く冬は寒い大陸性気候です。 麦類,ブドウ,畜産が主な産業であるそうだ。
スペイン人に「コンスエグラで思い出すものは何か」と聞けば,「アラブの城に風車にサフラン」と答えるという。
サフランはクロッカスの雌蕊を乾かしたもので,パエージャの黄金色の素ですね。
スペインの作家 セルバンテス が発表した小説で、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」のことを、少しだけ書いておきます。
ラ・マンチャに住む郷士アロンソ・キハーノは、日夜騎士道物語を読みふけって狂気にとらわれ、そこに書かれていることを実行に移す決意をする。
みずからを騎士ドン・キホーテと名のり、現実主義的で少々欲の深いサンチョ・パンサを従士とし、田舎娘を思い姫ドゥルシネーアに仕立て、やせ馬ロシナンテにまたがって、この世の不正を正し、弱きを助けるために遍歴の旅に出る。
9時50分・ここを後にし、コルドバへ向けて・3時間30分/280kmのバス移動となった。
正午ころ・トイレ休憩で、下の写真のようなドライブインに入る。
ここは、アボッツ・ドライブインで、新しい施設である。 その多くのサービスは、より質の高い、より多くのセキュリティと、旅行者に最高のサービスを提供しています。
バスのドライバーが、30分の休憩を取る必要があると言うので、私たちもゆっくりしたトイレタイムとなった。 ここの綺麗なトイレには、思わずシャッターを切った。
美味しそうな料理が、沢山並んでいます。
12時30分・休憩を終えてこのドライブ・インを後にする。
13時50分・コルドバの街に入った。バスを降りて市内観光が始まった。
ここゴルドバは、アンダルシア第3の都市で、人口はおよそ30万人だそうだ。
グアダルキビル川の右岸に、その町はたたずんでいる。
これから私たちは、『カラオラの塔』をくぐり、紀元後一世紀、ローマ帝国によって架けられたローマ橋を渡ります。
2000年もの間、コルドバの歴史を見守り続けてきたこの橋は、全長230mで、16のアーチで支えられています。カラオラの塔の内部は、コルドバ市の歴史博物館となっています。
橋はもちろん石畳です。
橋の真ん中まで来ると、青空に映える白い天使の像が立っています。コルドバの守護天使サン・ラファエルだそうです。
像の足元には、地元の人たちが供えるロウソクに、絶えず火が灯っていました。 これから向かうゴルドバの町は、紀元後一世紀、ローマ帝国によって、本格的な都市建設が始まったと伝えられています。
かつてアラブの城壁の一部だったというプエンテ門をくぐり町へと入って行きます。
そして、昼食のレストランに案内されました。 植物で飾られたパティオ(中庭)は、開放感のあるカフェレストランになっています。
食事の中で、フラメンコの弾き語りを聴かせてくれたのですが、物凄く上手い !!
… とても気分良くランチが進みました。
そして、昼食後、コルドバ市内観光が始まりまったのです。
これから向かう「メスキータ」は、後ウマイヤ朝の創設者アブド・アルラマン1世が、治世晩年の786年から建設に取り掛かったイスラム寺院の大聖堂・モスクです。
コルドバのメスキータは、町の歴史的街区の中にあり、スペインでも有数の大変美しいイスラム芸術の代表です。
入口の門をくぐると、まずはオレンジの中庭です。
この「オレンジの中庭」から寺院に入ってゆきました。
この大聖堂・モスクは、その後、3度にわたって拡張され、レコンキスタ後の16世紀にはキリスト教の大聖堂に改装されています。
ほの暗い堂内は、赤と白の馬蹄形アーチが連なり、独特な雰囲気を醸し出しています。
何よりも目をうばわれるのは、列柱ホールのアーケード が幾重にも重畳する眺めである。
赤いレンガと白い石とが だんだら模様をなすアーチの連なる内部空間は、実に華やかで幻想的です。 その原因は アーチが 2 段重ねになっていて、しかもその 2 段の間を壁にせずに、向こう側を透けさせていることにあると言われています。
メスキータの北、細い通りが迷路のように入り組んだ地区があります。
コルドバの町を象徴する花の小道が、この一角にあり、路地の両側には、白壁の家が建ち並び、花の小鉢が飾られていてとても綺麗です。 かつて、コルドバ・カリフ帝国時代には、多くのユダヤ人が住んでいたそうですが、レコンキスタ後のユダヤ人追放令によって姿を消したと言われています。 コルドバは、パティオ(中庭)が美しい場所としても有名です。
毎年、お花がきれいな時期の 5月に開かれる、パティオ・コンクールでは、たくさんの観光客が訪れることでも知られています。 アンダルシアでは、美しい中庭をたくさん見ることができるそうですが、その中でもゴルドバでは、調和のとれたみごとな中庭が多いと訊きました。
メスキータのすぐそばにある、入り組んだユダヤ人街は、“コルドバ歴史地区”として世界遺産に指定されており、“花の小径”と称される美しい景観を観ることができます。 小径毎に、様相を変える白い壁の町並みには、花の小鉢がたくさん飾られ、各家には、アンダルシアの暑い夏を快適に過ごすためのパティオ「中庭」が設けられています。
この街での観光は、陽射しが強くなり、シャツ一枚の状態でも暑いくらいだ。 午後 5時丁度ころに、この街の観光を終えて私たちは、今晩の宿泊地のグラナダへとバス移動・2時間30分/195km・となりますた。
バスが走る幹線の道路沿いには、白・黄色、そしてラベンダー色やポピーのような真っ赤な色の花々が、延々と咲いています。 午後 7 時ころ・グラナダの街に入り、午後 7時40分・今晩の宿泊ホテルに着いた。
少し高級感のあるこのホテルの名前は「グラナダ・パレス」 … 今晩ここに1泊です。 部屋に荷物が入ったのを確認して、ホテル内のレストランへ夕食に出掛ける。 夕食はビュッフェスタイル … スペインに入って初めてである。 そこで今晩は、好きな料理を好きなだけ食べられるなと、喜んだのもつかの間 …… 料理は、先客がとった後で残っているのは僅か・全く残っていない皿もあった。 料理は次々に、補充をしてくれるだろうと期待していたが、その様子もない。
仕方なく残り物で我慢 … トホホ。
そのかわりにと言う訳ではなかったが、ビールとワインだけは多めに注文して、何とか夕食を楽しんだものである。(下の写真 … これはちょっとお行儀の悪いことでした … 反省) 夕食後、部屋に戻ってインターネットを接続してみる。すると、快適に繫がった。
こうしたサーヒスは、ワンランク上のホテルらしいかなと感じたものです。
明日の出発も早い ……
少しの荷物の整理を済ませ、早目にベッドの中へ潜り込んだのでした。
今回もご覧下さいまして、ありがとうございました。
次の「第 6話」でまた…お逢いしましょう !!
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