2011 ハワイ・ロングステイ(11)

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第11話アロハ・オエ その意味は本当の愛をあなたに !!

 Aloha〜 !!
  今日は、ハワイの歴史的なことを少し知りたくて、JCBプラザ・ワイキキが案内するおよそ半日のツアーに参加したんです。その時の模様をお話しする前に、ハワイの基礎的なことについてふれておきますね。  正式には、アメリカ合衆国ハワイ州であり、州都はオアフ島ホノルルですね。ハワイが正式に州になったのは1959年8月21日だそうで、8月第3金曜日はハワイ州の祝日になっているそうです。
  人口は、2011年現在で130万人強。今では観光が主で、州の花は「黄色いハイビスカス…ハワイ自生のものだそうです。
  海底火山の爆発によってハワイ諸島が誕生したのは数百万年前。そして、ポリネシアからカヌーで渡ってきた人々がハワイ諸島に最初に入植したのは紀元300年から400年頃といわれます。カメハメハ大王が1810年、ハワイ全島を統一しました。ハワイ王朝の誕生ですね。
  その後、ハワイ王朝はアメリカの圧力により王権を放棄。1893年ハワイ王朝は終焉を迎え、ハワイ共和国が誕生、そして1898年にはアメリカがハワイを併合。1959年アメリカ合衆国50番目の州となったそうです。
  多人種社会のハワイで、2009年の調査でハワイ州総人口の人種比率は、おおよそ白人が 34%・アジア系 39%・黒人 3%・ハワイアン 9%・その他2つ以上の人種の混血が 15%といったところです。

  さて、私たちは、朝の8時50分に「アンバサダー・ホテルオブ・ワイキキ」で待つようにと言われていた。ハワイアンだと思われる女性が運転するバスが迎えに来た。そのバスには、ローカル・ジャパニーズなのであろう日本語を話す女性ガイドが一緒に乗っていた。このホテルからは、私達だけがバスに乗り込み、次に「シェラトン・ワイキキ」で乗り込んでくる参加者数人…最終的には14〜16人ほどの日本人観光客が乗り込んでツアー出発となった。  そこで始めに、エマ王妃の夏の別荘」に案内された。
  カメハメハ大王の孫にあたるカメハメハ4世とエマ妃・そしてアルバート・エドワード王子の思い出がつまった離宮がエマ王妃の夏の別荘」と呼ばれていて、見学できるのである。
  4歳で亡くなった王子…アルバート・エドワードという名前は、英国のビクトリア女王が名付けられたと聞いた。 エマ女王はイギリス人の血もひいていて、イギリス式の教育を受けた女性だったらしい。
  その別荘は、緑深いヌウアヌ渓谷の中に、こじんまりと建っていた。ハワイの歴史や文化に興味のある方は是非ご覧になるといいですね。   この白亜の宮殿は、英国文化を意識したビクトリア王朝風。 当時の調度品や家具類はもちろん、イギリス王室のエジンバラ公を接客するために作られた豪華絢爛なエジンバラルームなどがあり、一見の価値ありです。  この夏の宮殿には、エマ王妃の所持品、調度品、工芸品、そしてゆかりの品々がたくさん展示されていました。そして、たくさんの肖像画もかざられています。  コアなどのハワイアンウッドで作られた、素晴らしい彫刻がほどこされた家具の数々見事なフェザーケープ王族だけが身にまとうことを許された羽毛のケープ)や、年代物のハワイアンキルト。英国のビクトリア女王からカメハメハ4世夫妻に贈られた結婚祝いの食器。 明治天皇が日本を訪問したカラカウア王に贈った伊万里の大鉢も展示されています。  入口を入って左の部屋にあるピアノは、結婚から7年、29歳でカメハメハ4世が逝去したのち、エマ妃がヨーロッパを旅行した際に購入したものだそうで、腕に覚えのある方は自由に弾くことが出来ますよと言っておられた。

  当時の王家の栄華が偲ばれる品々でしたね。
そしてこの宮殿には、玄関の間をはじめ、正面寝室・客間・マントの間・裏寝室・中央広間・エジンバラの間・そして、宮殿敷地内庭園には、ハワイの植物がたくさんあります。
 宮殿の前にはハワイ州の木である「ククイの木」をはじめ「ろうそくの木」などがありました。 また宮殿の裏には、ゴムの木をはじめ、モンキーポッド「この木なんの木」と呼ばれている木と同じ種類の木がある公園がありますそして宮殿の裏口を出たところに、おみやげ店がありましたね。 「この宮殿の中は撮影禁止なので、一般公開されている写真を一部お借りてUPします」 

 さて、次に案内されたのは…アメリカで唯一の王宮殿(パレス)である『イオラニ宮殿1882年、ハワイ王朝7代目の王カラカウア王とその妃カピオラニの住居として建てられたもので、ホノルルの中心、ダウンタウンにあるアメリカ合衆国唯一の宮殿である。 この宮殿の見学は、「床を傷つけないよう、靴カバーをして下さい」と言われた。
 そして、内部は撮影禁止で写真はありません。

 初めに案内されたのは、華やかな王室を象徴する1階中央の大広間でした。ここは、宮殿の3階部分を吹き抜けにして造られた明るい空間となっていました。
 壁には、ハワイ王朝の10人の王・女王の肖像画が掛けられています。
 そして、その両サイドには、特徴ある広間が。
 豪華なシャンデリアにワインレッドの絨毯やカーテン、ゴールドの調度品で飾られた「赤の間(王座の間)

 ここでは、メリー・モナーク(陽気な王)と呼ばれたカラカウア王が盛大な舞踏会やパーティを行い、その宴は朝まで続いたそうです。
 また、公式行事に使われた「正餐室」には、地下の厨房から料理を運ぶためのエレベーターも設置されていましたよ
 ほかに、小さな歓迎会などで利用した「青の間も見学。 世界各国から集められた調度品も飾られており、王室の華やかな暮らしぶりがうかがえました。
 中には明治天皇から送られた、菊の紋章入りの花瓶が一対飾られていました
 2階には、ホノルル最古の電話がとりつけられた「カラカウア王の執務室」と「寝室
 カラカウア王は世界一周をして日本にも立ち寄っています。そして、明治天皇に「日本の皇室からお婿さんをハワイの王室に貰いたい。」と掛け合っています。残念ながら、この話しは実現できなかったとのエピソードが残されています。
 そして、宮殿のワイキキ側には王の妻、カピオラニ王妃の寝室もあるプライベートなフロア。しかし、その一角には、ハワイ王朝最後の女王・リリウオカラニが幽閉された寝室もありました。
 カラカウア王の時代には、閣僚のほとんどが白人によって構成され、ハワイ王朝も末期を迎えていました。1891年に王が病死し、その妹・リリウオカラニに王位が移ると、王権を回復する為に新憲法の発布を計画。しかし、1893年1月 これを阻止しようと白人が起こしたクーデターがハワイ王朝崩壊の引き金となる。白人勢力は、新政府を設立。1895年 リリウオカラニ女王は8ヶ月もの間、2階の寝室に幽閉そこは、ベッドと最低限の家具だけという殺風景な部屋となっていたそうです。
 そこで作られた歌が…「アロハオエ」だとか
 その後、王朝の栄華を象徴する「王座の間」で裁判にかけられ、一般市民として余生を送ることに……カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してから約100年間続いたハワイ王朝最後の舞台となったのが、このイオラニ宮殿だったと言う訳です。
 この宮殿のツアーが終わって「サンドウィッチ」とジュースが配られた。宮殿の前の公園のベンチでお昼としました。
 ほんの15分〜20分程度の駆け足の宮殿ツアーでも、ハワイの歴史を振り返り、学ぶことができる、隠れた見どころですよ。…そして、ハワイ王朝の華やかさを感じることができました。
 
また、ここ「イオラニ宮殿」では、毎週金曜の12時から、庭園でロイヤル・ハワイアンバンドによる無料コンサートも開かれていると聞いた。およそ1時間あまり、フラとともに素敵なハーモニーを楽しむことができるそうですよ。しかし、ほとんどロコしか来ていないとのこと…もったいないですよね。ぜひ出掛けてみたいものです。

 この宮殿は四方をフェンスに囲まれていて、東西南北に4つの門がある。門にはハワイ王国の紋章が飾られているが、この紋章にも歴史が刻まれていると聞きました。 紋章は、1840年代のカメハメハ3世時代、王族のひとりによりデザインされたものだそうだ。一番下にあるハワイ語の文章は、「土地の統治権は、正義によって守られる」との意味のハワイ王国のモットー。真ん中に立つ2人のハワイアンは、カメハメハ大王の叔父で相談役だった双子の王族、カメエイアモクとカマナワ。2人の間にある王冠にはタロイモの葉8枚が描かれており、これはハワイ諸島8島を表しているそうだ。
王冠の下にあるのは、ハワイ王国の国旗から取られた8本のストライプ(やはりハワイ8島を示す)。球状の先がついた白い棒は、昔王族の象徴としてその住居前などに立てられた「プロウロウ」。中央には、カヌーのパドルと王族のカヌーの立てられた旗「プエラ」が組みあわせられているそうだ。
 ハワイ統一を成し遂げたカメハメハ大王の銅像です。1883年のカラカウア王の戴冠式の日に除幕された。以来、100年以上に渡ってイオラニ宮殿を見守っているんだそうです。後ろの古い建物はアリ・イオラニと呼ばれるハワイ州最高裁判所。
 毎年、6月11日のカメハメハ・デーになると、カラフルなレイが幾重にもかけられる。
 左手の槍は平和を象徴し、掲げた右手はハワイの繁栄を表しているらしいですよ。
 ここで、記念の写真を撮り、ツアーが終わりとなった。

 最後に…ハワイソングで最も有名な「アロハ・オエ」…ハワイの歌といえば、誰もが思い起こす曲なんですが、作者はハワイ最後の女王として有名な「リリウオカラニ女王」だったということをご存じでしたか ? 
 感性豊かな女王は、100曲以上も創作したといわれていますよ。
 ハワイ語で「アロハ・オエ」….
 それは「本当の愛をあなたに !!」という意味が一番近いそうです。

  ではまたお会いしましょう…Mahalo〜 !!

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