2012 アンコール遺跡群(3)

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 第3話 …「 アンコール・ワットの観光

 世界文化遺産のひとつとして知られる「アンコール・ワット」は、今からおよそ150年前には、その存在を知る人すらいなかった。 フランス人によって発見されるまで、密林の奥深くに眠り続けていたのである。
 この巨大寺院群を有したクメール王国は、インドシナ半島の大部分とマレーシア半島の一部まで領土としたこともある大帝国であったそうだ。 現在のシェムリアップ地域に、その跡を残す王都は、大農業王国の都であると同時に、王国内で最も豊かな水の都でもあった。
 このシェムリアップ地域には、現在分かっているだけでも、およそ300もの遺跡群があるそうだ アンコール・ワットの造営から遅れて半世紀後、王都・アンコール・トムが造られたそうである。 何時かは訪ねてみたい …..  そう初めて思ったのは 20代の半ばだった。 それが実現したのは何と半世紀を経た今の、限りなく70 歳に近い 60代の2012年3月であった。
 今回のお話は、その旅の覚書なのです。
 さて、ホテルでお昼の休憩をとった後、アンコールワットの観光が始まったのです。
 ホテルからアンコールワットまではおよそ 6 km、パスで15分程と近かった。バスを降りるとそこは、西参道の入り口で、参道の最初の階段を上ると広いテラスになっていた
 そのテラスの両側には、ナーガ「蛇神」の欄干が付いていた 西参道は、220mの幅の環濠を渡る … アンコール・ワットへの重要なメインアプローチである。 この参道の石橋は、長さ約200m・幅約12m・高さ約4mもあるそうだ

 この石橋にもかつては、「乳海攪拌の様子を描いた蛇神ナーガの欄干」で縁取られていたというが、今は堀に落ちており、残念なことに見ることが出来ない。この石橋の中程には石段の船津が備えられている。

 西参道入り口から、この石橋を渡り終えると、そこは周壁となっており、中央に「西塔門」と、その両側に「象の門」があった。 (下の右上の写真は西塔門破風の彫刻です↓) その「西塔門」の内部・南側に、神像があった。 その神像にお参りをして、薄暗い西塔門の内部を通り過ぎると、三重の回廊で囲まれたアンコール・ワットの中央祠堂が姿を現した そして、この西塔門を出た南側から象の門にかけての周壁には、繊細な彫りの美しい「デバター像」がずらりと並んでいた。 その中には、歯を見せて笑っている珍しいデバター像もあった。ここアンコール・ワットのデバター像は、2000体にも及ぶといわれています。 
 アンコール・ワットの壁面に浮かび上がる数々のデバター。その美しさは、無言のうちに見る者を圧倒する気高さが秘められています。
 一体ごとに、薄衣の模様や装飾品、顔の表情までが、微妙に違っています。ヘヤスタイルや髪飾り、サロン「腰巻き状のスカート」の飾り、ゴージャスな物から大胆なデザインの物まで多様なアクセサリー類などを見比べてみるのも楽しいでしょう。
 魅惑の微笑みをたたえるデバターが、神々の世界へ案内してくれそうですよ !!


  ここ西塔門から、アンコールワットの本殿までは、まだ結構な距離がありそうです。
 アンコール・ワットは、南北約1,300m・東西約1,500mの堀で囲まれていて、西塔門から中央神殿までの参道は、およそ600mと長い。最初は小さく見えていたアンコールワットの中央神殿も近づくに従ってその巨大さが迫ってくる感じである。 さらに、参道を進むと、その左右に「経蔵」と「聖池」が対象的に配置されていた。
 ガイドの案内のとおりに、少し左側から中央祠堂の景色を見ると、塔が5本あることが確かめられるアンコールワットの全体像を見るならここから見るのがベストだとして、暫く記念の撮影タイムとなった。 この池に写るアンコールワットの姿も凄く綺麗だとされていて、とても有名な撮影スポットだそうである その後、さらに進むと、「西塔門テラス」に着いた。 いよいよ、アンコールワットの内部へと入っていくことになるのである。 私たちは、上の写真の池の左側を回って、アンコール・ワットの一番外側の第一回廊から内部へと入った。
 私はてっきり、正面入り口から入ると思っていたら第一回廊の北西の角あたりから入ったことになる
 その入ったところの回廊の壁一面には、びっしりとレリーフが彫ってあった。 戦争の様子を彫ってあるということだったが、とても緻密で素晴らしい。 こちらの第一回廊の西面北側には、『ラーマーヤナ物語』と言われていて、古代インドの戦いの模様が描かれています
 主人公ラーマ王子の率いる軍隊と、20本の腕と10個の頭を持つ魔王ラーヴァナ率いるラーヴァナ軍との戦闘場面のクライマックスが展開されているとのことでした。
 50m余りのレリーフ中央に、弓を引き矢を射るラーマ王子が、猿軍団の将軍ハヌマーンの頭上に描かれています。
 この場面では、とても数多くの猿や人が描かれていて、またひとつひとつの動きがとてもきめ細かいです。動画を見ているような、そんな錯覚に陥りますよ。 建立当時は金箔が貼られ、極彩色に彩られていたといわれていますから、想像すると凄いですよね !!   アンコール・ワットの中心部の十字回廊には、沐浴場と考えられる4つの聖なる池がありましたが …. これらの池は、単なる王の水浴びのための施設ではなく、クメールの灌漑技術の高さを誇示している池とも言われています地上よりも高い位置に水をたたえた池を造ることは、現代でも容易なことではないので、当時としては素晴らしい技術のものだったんですよね。 また、中心部の十字回廊の両側には、経蔵があった。(上の写真の右側↑) さらに私たちは、第二回廊の中へと入った。 ここ第二回廊の内側から、第三回廊と中央塔を間近に見上げると、その迫力には凄いものがあります。
 神々の世界に近づいた思いがしたものです。
 この第二回廊の内側から、いよいよ一番高い第三回廊に登る人がいます。ところが、第三回廊に登る階段は、ほとんど垂直に近い状態で、下から見たら壁のように見えます。 逆に、上の第3回廊から、降りる石段を見ると、まるで断崖絶壁の様子でしょう。 
 特に恐いのは階段の幅が狭いことである。靴の横幅と同じくらいしかないのである。そのため、横に向いて登らなくてはいけない。この急な階段では、過去に落ちて怪我や、ひょっとしたら、命を落とした人もいるのではないかと思ってしまったくらいです。
 それでも、登っている観光客も沢山いたが、私たちは、下から見上げるだけと決め、暫らくのいい休憩時間となった。 多くのレリーフの中でも、特に美しいのは「透かし彫り」である。さらに奥行きの深い立体的な彫刻は、見事の一言に尽きます。 そうした美しい彫刻は、西塔門の内側の上部と、十字回廊の中央北側の柱などで見られます。 アンコール・ワットの最後の見学は、第一回廊の壮大なレリーフ・ギャラリーです。
中でも、記録しておきたいのは「東面」の南側に彫られている「乳海撹拌」です。ヒンドゥー教の天地創世神話である「乳海撹拌」の説話が、50mにもわたって描かれているんです ヴィシュヌ神の化身である大亀の背に乗った大マンダラ山を、両サイドから、神々と阿修羅が大蛇の胴体を綱として引き合う、カンボジアの創世神話である。
 中央には、采配を振るヴィシュヌ神。綱引きをしながら、海中をかき回すといった撹拌が、1,000年も続き、海は乳海となり、その中から、アプサラやヴィシュヌ神の妻となるラクシュミーが産まれ、最後に不老不死の妙薬が得られたという神話が描かれている

 帰国の際に、タイのスワンナプーム空港で、出国手続きを終えて、免税店が並ぶホールを散歩していると、アンコール・ワットの第一回廊のレリーフを立体的に再現したモニュメントが飾ってありました。(下の写真がそのモニュメント↓) このモニュメントは、タイを出国するときにしか見ることが出来ません。 この天地創世神話である「乳海撹拌」の説話の他に、第一回廊のレリーフには、壮大な絵巻が彫られています。 西面の南北には、「インド古代の叙述詩」が、南面には、「天国と地獄」に「スールヤヴァルマン二世の行軍」の様子。そして、北面には、阿修羅と神々の戦いなどが描かれています。
 こうして、アンコール・ワットの内部の観光を終え、最後には、この聖域から、美しいサンセットを眺めて、ここを後にしたのでした 今晩の夕食は、伝統舞踊アプサラの舞を鑑賞しながら、ビュッフェとなりました。 レストラン会場は「アマゾン・アンコール」・カンボジア・中華・ベトナム・西洋・日本料理など、ビュッフェ料理の種類の多さ、味のよさで、日本人を始め、外国人観光客に人気のレストランだそうです。
 カンボジアが誇るクメール文化の華「アプサラの踊り」については、次の機会にでも書くことにします

 これまで見て下さって、ありがとうございました !! 
 続きはまた次回に …  

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