2013「スペイン・ポルトガル周遊10」
第2話 スペイン第2の都市・バルセロナ市内観光
そしてタラゴナ観光・バレンシアへ
旅行2日目の午前 8時過ぎ、バスを降りて、スペイン第2の都市・バルセロナの市内観光が始まった。 大型観光バスは、旧市街地は道も狭く、規制もしかれていて入れない。
なので、まず最初に訪れる「サグラダファミリア」からは、かなり離れた場所でバスを降りた。 そのお陰で今朝の観光は、朝の新鮮な空気を吸いながら、気持ちの良い散歩で始まった。
これから見学する「サグラダファミリア」は、毎年何百万人もの人々が世界各国から訪れる、スペインきっての名所だそうで、バルセロナが誇る建築家アントニオ・ガウディが、生涯をかけて取り組んだ未完の教会である。
サグラダファミリアは、聖母マリアと夫ヨセフ・それにイエスの、つまり「聖家族」の「住まい」として、建設が開始されたと聞いた。
日本では「聖家族教会」と呼ばれることも多い。
サグラダファミリアが、だんだんと近づくにつれ、その建物が少しずつ姿を現す。
その全体が見渡せる撮影スポットの「ガウディ公園」に案内された。 尖塔が高い !! ・それに規模が大きい !! かつて私が見たこともない形の建築物です。
何と言う複雑なデザインなのか … ずうっと圧倒されっぱなしの連続で、暫くは声も出ない状況でした。
この教会は、1882年に着工したそうで、その翌83年、前任者が辞任したことにより、ガウディが引き継ぐこととなったそうです。
大聖堂の建築にたずさわることを夢見ていたガウディは、これを奇跡として喜び、晩年は他の仕事から一切手を引いてサグラダ・ファミリアに専念したというのです。
1883年から、ガウディが亡くなる1926年まで、棲家をこのサグラダファミリア内に移してまで、エネルギーを注いだ大作だそうです。
尖塔は、完成すると18本がそびえる予定だそうだが、これまでに完成しているのは8本。 ガウディの生前に出来上がっていたのは、たったの1本だけであったと言われています。
かつては、完成される日は来ないかもしれない……と言われていたそうだが、近年・寄付金や入場料が集まり、現在・地元スペインを中心とする200名以上もの人が工事に携わり、建設完成を2026年の目標として、近年急ピッチで工事が進められているそうです。
2010年には祭壇のあるメイン部分が完成したため、ローマ法王を招いてミサが行われたそうです。そのことから、ローマ法王によって、教会として正式に認められたそうです。
東側の「生誕の門」までやってきました。(下の写真) 間近に門の彫刻を見ると、そのあまりの繊細さに、言葉を失います。
この「生誕の門」の彫刻の中に、日本人の彫刻家が手がけた像があると言うのです。
その人の名は外尾悦郎氏 … 福岡県出身の彫刻家で、現在は、ここサグラダファミリアにて主任彫刻家を務めているそうです。 石工になるべく25歳で日本を飛び出し、バルセロナに移って35年が経つんだそうです。
2000年に完成した「生誕の門」は、世界遺産に登録されているとか。 ガウディの意志を継ぐ東洋人は、スペイン人からも尊敬のまなざしを受けているそうですよ。 いよいよ教会の中に入ります。天井が高い !! … 誰かが表現していたけれど ….. そう !! まるで森のような感じの柱と天井です。
子供の頃から自然を敬愛していたというガウディは、教会の厳格な雰囲気を和らげるために、聖堂部分を、白を基調として、森のような空間にイメージしたそうなんです。
自然からヒントを得て、丸い天井を上手く支えられるよう、柱を枝分かれした木々に見立て、聖堂内はまるで白い杉林のようです。
こんな建築構造は、かつて観たことがありませんし、想像もつきません。 花形にくり抜いた窓にはめ込まれた色彩豊かなステンドガラスは、自然光を受けて万華鏡のように輝いています。
サグラダファミリアには、「生誕の門」と「受難の門」という2つの門があります。
それぞれに約100メートルの4本の塔があります。
生誕の門には、隣接する2本に、受難の門には1つの塔に、エレベーターで上ることができます。 生誕の門の塔は、下りは階段ですが、受難の門はエレベーターで下れそうです。
私たちは「受難の門」の尖塔の中を、エレベーターで登る観光に参加したのでした。
尖塔の上からは、街の景色が見渡せるだけでなく、下からではよく見えなかった、塔についたオブジェの彫刻物が、すぐ真近に観ることが出来ます。
だけど高いです !! … 正直に言うと、ちょっと怖いです。
バルセロナ中心部の碁盤目に整備された街並がよく見えます。 その帰りは、螺旋階段を歩いて降りたんです。
この降りる途中にいろいろと感動的な場面に出逢いました。
途中、バルコニーがはりだしている部分がありました。 確かに絶好の写真ポイントなのですが、正直、あまりしっかりした造りに見えません。 しかも、角の部分や底面にも、透かし彫りが施されていて …. そこからぽっきり折れそう、かなり怖い思いをしたものです。 尖塔の上に、何やら果物らしい飾り物があります。 これは神々への「お供え物」だと聞きました。 いたるところで工事が進められているのが見えます。
実にすごい現場だな〜と、感じたものです。 大分降りてきました。「受難の門」を出て左側に、波のような曲線を描いた屋根や壁を持つ平屋の建物が見えていますが、これは、この「サグラダファミリア」の工事に携わっている人々の子供たちのために造られた「学校」だそうです。 これとても、ガウディの凄いデザインですね。 かなりの時間をかけて、螺旋階段を降りきりますと、そこは「受難の門」の直ぐ傍です。
「受難の門」から外に出て振り返ると「生誕の門」とはまるで異なる彫刻がレリーフされています。(下の写真) 一見・未完成 か ? … と思ってしまったものです。
とこがこれで完成形だそうで、キリストの受難エピソードが見てとれるようになっているそうです。
この門を飾る彫像群は、現代の彫刻家ジュゼップ・マリア・スビラクスが担当しているそうです。 これらの彫像は、荒削りの角張った人物像・最小限に留められた顔の表情など、抽象とも具象ともつかない独特のフォルムをもっています。 キリストの受難を強烈にアピールするには、これら個性的な人物像が似つかわしいともいえ、ガウディーの構想には相応しいかもしれないと言われています。 こうして、聖家族教会の観光を終え、次の観光地である「グエル公園」へとバスで移動しました。
11時20分頃・「グエル公園」の駐車場に到着です。もの凄い数の観光客です。
園内に入ると、骨のような柱と表現した人もいますが、実にユニークな柱で支えられた高架橋が現れました。 公園内には、こうした高架橋が 3つあると言われています。 何本もの石柱で支えられた橋は、車が通ることを考えて広く造ってあるそうです。
柱は波をモチーフにしたと言われていますが、見るとまるで動物の骨のような、何とも柱がユニークな高架橋です。
さらに園内を奥へ進むと、「ガウディの家博物館」がありました。(下左の写真)
ガウディの暮らしぶりが分かると言うこの家 … 病気の父親と共に暮らすために建てたそうですが、父は移ってすぐに亡くなりその後は、姪と暮らしていたそうです。 1926年にガウディが亡くなるんですが、その数ヶ月前まで暮らしていたというガウディの自宅です。 ピンクのかわいい小さなお城のようなこの家は、その後、イタリア人など様々な人の手に渡った後、現在は「ガウディの家博物館」と呼ばれ、ガウディデザインの家具で飾られ、ガウディが住んでいた当時を再現した空間になっていると聞きました。
ここグエル公園も、ガウディ作の世界遺産なのです。
実はこの公園、ブルジョワ階級向けの、庭園住宅になる予定だったそうです。
建設開始当初、60軒の庭園住宅を建てる予定だったその住宅が、僅か3軒しか売れず、ガウディとパトロンのグエル伯爵の夢は破れます。 ガウディが建設を予定していた礼拝堂と60軒の家は未完のまま市に買い取られ、公園になったと言う訳です。
売れなかった原因は、街の中心から遠いにも関わらず、交通の便が良くなく、地域として人気がなかった模様です。 そのおかげで、いま私たち観光客は、無料でこの偉大な建築物を見学できるんですから皮肉なことです。
園内を奥へ進むと、110メートルも続く波打つベンチに縁を囲まれた広場が現れます。 ギリシャ劇場を意識した広場だそうですが、ガウディは、長時間でもゆったり座っていられるようにと、座り心地にもこだわった長いベンチを造ったと伝えられています。
そしてこのベンチには、破砕タイルのモザイクでデコレーションされていて、色も絵柄も綺麗です。もの凄い人が座って、思い思いの記念撮影をしたり、会話を楽しんでいます。 この広場を降りると、そこには、ギリシャ神話にでてきそうな、86本もの長い柱で支えられた多柱造りのホールがありました。
この多柱造りのホールのちょうど真上にあるのが、波打つベンチがあった広場なのです。 広場に降った雨水は、この86本もの柱の真ん中を通って、貯水池に流れ込む構造になっていて、その水は、園内の植栽用の水として利用する計画となっていたそうです。
今は、水道水が利用されているそうです。 さて、この広場の下のホールですが、真夏でもひんやりと涼しいので、生物販売にはもってこいなのです。そう !! … ここは市場にする予定で造られたと言うのです。
このホールの天井には、優美な四つのタイル絵で飾られています。
春夏秋冬を鮮やかに表現しているそうです。 ここを訪れたら、天井の破砕タイルのデコレーションにも注目を忘れないで !!
さて、この多柱造りのホールを出ると、まるでテーマパークに来たような錯覚をおこしそうなくらい、風変わりな景色が広がっています。
そして真ん中に、白い階段が広場へと降りていっています。 この階段の踊り場付近に、観光客がお目当ての、
今やバルセロナのシンボルともなった「破砕タイルで飾られたとかげ」があります。 実はこの「とかげ」、「とかげ」ではなく「サンショウウオ」だとか「ドラゴン」であるとか、様々な見解があるとのことですが、本当のところは謎のようです。 この「とかげ」は、ほんとうに大人気の写真撮影スポットとなっています。
上の写真の中央上の部分が 波打つベンチがあった広場です。
この「グエル公園」の散策は、ゆったりとした時間の流れの中に、十分に楽しむことが出来て良かったです。
「グエル公園」を後にしてバス移動となった。 そして午後1時40分ころ・レストランでの昼食となりました。 お昼のメニューは、2種類のパエリアです。 昼食を終えてバスは、バルセロナを後に、タラゴナへと移動です。
タラゴナまでの移動は、およそ1時間 30分 / 100 kmとなっいました。
そして、15:00 頃・タラゴナに入り、途中の展望所から「ラス・ファレラス水道橋」を眺めることになりました。
「悪魔の橋」の異名をもつ、1世紀に築かれたローマ時代の水道橋です。
現在・ラス・ファレラス水道橋と呼ばれている部分は、217メートルあるそうで、最大高さ27メートル、幅は約2メートル。2段に分かれており、上段のアーチは25、下段には11、それぞれのアーチの長さは約6メートルもあり、セメントなど一切使わず大型の切り石をくっつけて作られているそうですよ。 町の中心から4キロほど離れた郊外にあるそうです。 上の写真のバスが、私たちのツアー・バス。 ツアーは12名・ゆったり !! です。
バスは、タラゴナ市内へと入って来ました。
これより更にバスを走らせ、タラゴナ市内の「円形闘技場跡」へ行きます。
そこでバスを降りて暫く歩き、この闘技場を観光したんです。 ローマ帝国時代の 2世紀、地形の起伏を利用し、地中海を背にするように建てられています。 観客席は、この場所にあった岩を直接に掘り作られているそうです。
幅 86.5メートル、長さは 109.5メートルを誇り、14,000人を収容する大規模な闘技場だったようです。
現在も修復中のようです。私たちは高台からの観光ですが、それでも十分に、その偉大さを感じることができます。 お天気が良ければ、青々と輝く地中海と灰色闘技場のコントラストが美しい遺跡だろうな〜と思ったものです。 タラゴナは、人口が 14万人ほどだそうです。 15:50頃にこの競技場を後にして、今日の宿泊地である バレンシアへ・移動3時間 30分 / 260km・となったのでした。
そして19:00 バレンシアのホテル・「アパルトテル・アルブフェラ」に到着です。 このホテルの回りには、沢山の商店が接しています。 チェックインをし、部屋に荷物を入れて貰い、20:00丁度より、ホテルのレストランで、お待ちかねの夕食となった。 夕餉は、野菜のソテーを前菜に、メインはステーキとなっていました。
ビールとワインを貰って、一日の疲れを癒します。 部屋はコンドミニアムのタイプで、広いリビングが付いています。
部屋に戻って、バッテリー類を充電セットし、バスタブにはたっぷりのお湯を張っての入浴 … そして早めの就寝となりました。
今回もご覧下さいまして、ありがとうございました。
次の「第 3話」でまた…お逢いしましょう !!
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