2013 気の向くままにドライブ沖縄4(3)

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「第3日目」沖縄本島・南部のドライブ

 *3日目(3/13・水)

 am 05:30 ・よいしょと起きる。今日は・観て回りたいなと思っているヶ所数が少し多い。
 なので、ホテルの出発を、幾分早目にする必要がありそうだ。
 am 07:30 には朝食を終え、08:00 頃にホテルを出た。 心配していた天気は、良く晴れて、視界もスッキリとしている。 今日のドライブは、沖縄本島の南部エリアで、反時計回りに走ってみようと考えているところです。 最初に訪れたのは「旧海軍司令部壕」です。 朝の早い時間であったので、観光客も数組だけ。 始めに、ビジターセンター内の資料館を見て、壕内に入ります海軍司令部壕は、沖縄戦において、大日本帝国海軍の司令部として使用された防空壕である。 ここは、最高軍事機密であったため、民間人は近付くことも許されず、工事はおよそ3,000 名の軍隊の手のみによって行われたと聞いている。 司令官室や暗号室などの部屋があります。 持久戦に備えて、この中に約4000人の兵士が収容されていたそうです。
 兵士らは、立ったまま眠らなければならかったそうですが、想像がつきません。
  圧倒的な戦力を持つ米軍の進撃が続き、陸軍も南部へ撤退する中、ついに1945年6月13日、司令官以下の将兵は、自決を遂げたとあります。 その幕僚室の壁には、手榴弾で自決した時の破片の跡が、生々しく残っていました。

 次に訪れたのは、沖縄アウトレットモールですが … その直ぐ横に道の駅がありまして、その隣の建物が豊崎情報ステーションとなっていました。 私たちが、これからドライブしようとしているコースが、果たして無理などなく正しいのか ?ここで聞いてみることにしたんです。 この報ステーションの中には、若い女性と店長らしき男性がいらっしゃいました。 
 お尋ねすると、ほんとうに丁寧に、あれこれとアドバイスをして戴きました。

 私たちが計画していた今日の観光スポットを見て「少し欲張りのコースとなっているわね」とおっしゃる。 そして「首里城と国際通りの観光は、明日にまわせない ? 」とも付け加えてのアドバイスがあった。
 そんな指導を戴いて、私たちのドライブ・コースが安心のコースとなったのです。
 そこで、ここ「沖縄アウトレットモール」の見物をパスして「琉球ガラス村」を目指すことにしました。 ここで車を降りて、少しの見学をしながらの小休憩です。
 そして、今回の旅で是非訪れたかったのが「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」です。 この歳になって初めての慰霊の訪問になりました。 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月23日に、米軍の沖縄上陸作戦が開始された。
 そこで、沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校から、生徒222名、教師18名が那覇市の南東5キロにある南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員される
 両校から動員された生徒・教師たちを「ひめゆり学徒隊」と呼んでいる。
 同年4月1日にはアメリカ軍が沖縄本島にも上陸。 5月には南部にも戦線が迫ってきて、彼女たちは、日本軍とともに陸軍病院を出て、本島南端部に向かう砲爆撃の続く中、 6月18日に突然、解散命令がでて、戦場の真っ只中に放置される。
 
彼女達は逃げ惑い、動員された教師・学徒240人中136人が亡くなったのである
 上の写真をご覧下さい。この「ひめゆりの塔」が建っている場所は、陸軍病院が入っていた「伊原第三外科壕」と呼ばれている洞窟の上で、「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔なのです。
 その奥の資料館の建物は、当時の女師一高女を模して作られているそうで、美しい中庭は、戦場で尊い命を失った少女たちの御霊に捧げられているそうです。 館内には、南風原陸軍病壕の一部を再現した原寸大の「壕」があり、ひめゆり学徒隊の足跡などを知ることができます。 ひめゆり学徒隊にいて、幸運にも生き残った方が、私たち来館者に、じかに話を聞かせてくださいました。 一通りの説明が終わったところで、そばで聞いてた私たちに「ご旅行ですか ?」とおっしゃるから … 「はい」と答えると「お幸せそうね … お身体大切にいつまでも仲良く、楽しい旅をお続けなさい」と念を押された。
 そのおばあちゃんのお話は、何よりも説得力があり、当時の様子が目に浮かぶようで、何時しか涙があふれていました。

 敗戦の当時、ひめゆり学徒隊生存者の多くは、亡くなった学友や遺族に対する痛恨の思いから、戦争体験を語ることはほとんどなかったと言う。
 私たちは「ひめゆり学徒隊」であったおばあちゃんのお話を、こうして直接聞けたことに感動して、この資料館を後にしたのでした。
 戦争を知らない多くの世代の方々に、時間を取って、ぜひ立ち寄ってほしい施設です。
 上の写真・この「平和祈念公園」もまた、初めて訪れたのでした。 平和祈念公園は、沖縄本島南部の「沖縄戦終焉の地」糸満市摩文仁の丘を南に望み、美しい海岸線を眺望できる台地にあります。
 公園内には、沖縄戦の教訓を正しく次世代に伝えるための、平和の発信施設としての「沖縄県平和祈念資料館」や、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ「平和の礎」そして摩文仁の丘には18万余柱の遺骨が納められている「国立沖縄戦没者墓苑」・府県、団体の慰霊塔が50基などが建立されています。

 さて、次に訪れたのは「沖縄ワールド文化王国」です。 ここには、東洋一の美しい鍾乳洞「玉泉洞」をはじめ、有形文化財指定を受けた古民家が建ち並ぶ「琉球王国城下町」を楽しめるスポットが満載されているそうです。
 
また、大人気の、勇壮な伝統芸能エイサー演舞スーパーエイサー」を観ることができる特設会場が設けられています。(下右の写真) 鍾乳洞の「玉泉洞」は、我々の祖先・ホモサピエンスがアフリカで誕生するはるか昔の 30万年という気の遠くなるような自然の営みが創り上げた鍾乳洞だそうです。 この王国での見学の様子は、どうぞ写真からご想像願います。

 この琉球王国城下町の見物をしているうちに、何だかお腹がへってきて「豊崎情報ステーション」のお嬢さんがすすめてくれた「森のカフェ・くるくま」を思い出し、そこへ駆けつけることにしたんです。 南城市知念の、太平洋を一望できる高台に、オープンしているのが「カフェ・くるくま」です。 ウコンをはじめ、アジアンハーブを活かした健康食品を製造・販売する会社が経営しているのだそうです。 そう「カフェ・くるくま」は、アジアンハーブレストランなのです。 そして、ここで提供される料理はタイ料理 … シェフは全員がタイ人だとか。 なので彼らが作るタイ料理は、基本的には本場と同じだそうですが、ここでは、日本人でも食べやすいように、多少のアレンジがされているそうです。 私たちが注文したのは「カツカレー」です。 
 揚げたてのサックサクのカツにかぶりついたら、口の中いっぱいに、アジアンハーブの香りが … この美味しさはもう、たまりません !!
 食事の後は、ハイビスカスドリンクや、レモングラスティーなどのハーブティーも飲めるそうで、お茶と一緒に、太平洋の絶景も味わいたいお店です こうして、満足のお昼となったのでした。
 さあこれからは、今日最後に訪れて観たい「斎場御嶽」です。 この「斎場御嶽」は、海を越えてやってきた神、琉球の始祖「アマミキヨ」が造ったとされている、琉球で一番格式の高い聖地・祈りの場だそうです。

 琉球王朝では、神の声を聞くことの出来るのは女性であり、それも、王の親族の女性と決まっていました。
 当時は、一般の人たちと男性は、入り口までしか入る事を許されず、国王でさえ途中までしか行くことができなかったほど、神聖な処とされていた「琉球王朝が執り行う神事の場」だったそうです。 木々がうっそうと茂る敷地内には、六ヶ所の拝所がありました。

 こうして今日も、無事に、ドライブが終わったのでした。 ホテルに戻って車を駐車場に入れ、ホテルフロントで「回転寿司店」が何処にあるのかを確かめたのです。
 美味しいと評判なお店を薦めてくれた。そこへとタクシーを走らせました。 そこは、私たちが地元で味わう回転寿司と、全く変わらない店であった。
 ストレスのない「にぎり寿司」での夕餉 … 時間を忘れてお酒を楽しんだものです。
その帰り道・「国際通り」を散策しておこうと、公設市場の入口正面でタクシーを降りる。
国際通りは、那覇市の県庁前交差点から安里三叉路にかけての約1.6km(約1マイル)の通りの名称だそうですね。
 戦後の焼け野原で行われた闇市時代を経て発展を遂げたことから「奇跡の1マイル」とも呼ばれているそうです。 現在ではおみやげ店が軒を並べ、那覇観光の中心地でもある。 沖縄の海の物・山の物をつかった沖縄料理の店が軒を連ね、あるところでは、ステージもあって、毎晩、島唄ライブと沖縄料理が、一緒に楽しめるんだそうです。
 集まってくる人も、国際色豊かな人が多く、昼夜それぞれに賑わっています。
 交差点のカフェに腰掛け、お茶をしながら暫く「人間ウォッチング」したものです。
 国際通りのはずれの「牧志公園」と、私たちが宿泊しているホテルとの間には、無料のシャトルバスが走っていると言うので、それに乗ってホテルに戻ったのでした。

  ご覧下さいまして、ありがとうございました。
 
 次の「第 4 話」でまた…お逢いしましょう !!

 

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