台湾周遊4・2011(2)

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2011年3月8日(火)天気は曇…ぅむッ?…スモッグかな?。台湾周遊の2日目の朝は、花蓮市のパークビューホテルで目を覚ます。昨夜は疲れて出来なかった我が家へのメールに写真を載せて、朝食前に送信を終える。ツアー中にそんなことまでをと思われる方もあるだろうが….blogを書くようになった者のひとりとして、たとえば少し長い旅行に出掛けた場合、その出先からの投稿を可能にしておきたい。そのための予備学習をかねてのことなのである。
am6時半、ホテル内のレストランに行くと、ビュッフェスタイルのメニューは実に豊富、中に「おでん」もが並んでいた。
少し硬めのご飯だったが、私には好みで美味い。旅行中の食事は、観光とともに楽しみのひとつである。朝食を終えてホテルの裏庭に出て観た。弱い風が吹いていて少しひんやり。広大な庭なのに、隅々まで手入れが良く行き届いていて綺麗。今日の出発は8時半….なので、ゆったりした気分の中、爽やかな庭の散策が出来た。

1895年(明治28年)清朝が日清戦争に敗れ、日本の領土となって以後、1945年に日本が第二次世界大戦で敗戦するまでの51年間、日本の統治下におかれた台湾・ここには二つの世界に誇る観光地がある。ひとつは中国五千年の文物を集めた故宮博物院・もうひとつは大自然が生み出した壮大な景観の太魯閣(タロコ)国立公園である。今日の観光は、この太魯閣(タロコ)国立公園から始まった。この公園は、南北38㎞、東西41㎞、総面積9万2千ヘクタールの巨大な渓谷公園である。この公園の東側・花蓮から天詳までの間のおよそ20㎞も続く大理石の山肌の断崖絶壁が太魯閣渓谷である。そう、ここは山全体が大理石だと言っても大袈裟ではない…そんな凄いところである。
台湾は日本の九州とほぼ同じ程度の広さで、南北に394㎞、東西に144㎞と木の葉のような形をしている。その島をほぼ南北に縦走する山脈がある。
その山脈には、日本の富士山より高い、4000㍍級の雪山が幾つもあると言うから驚きだった。
また、この太魯閣公園の中だけでも、3,000㍍級の山々が数多く、その内の花蓮県だけでも20を超えると聞いてびっくりだ。太平洋側のフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートとぶつかり、ユーラシアプレートの縁を押し上げて台湾が出来たと言われている。現在でも、毎年0.5センチの隆起が続いているそうで、一日には数回の小さな地震が発生しているらしい。

こうした隆起が、海岸から直ぐに3000㍍級の山々がそそり立っている理由となっている。
こうした地殻変動による上下の圧力と、気の遠くなるような時間をかけて大理石の岩肌が出来た。とてつもない大きな一枚岩など、その壮大な景色が観られる太魯閣渓谷….大自然が造り出すもの凄いスケールの造形の前には、声も出ない。

長い間、人を寄せ付けなかったこの渓谷に道を開いたのは、あの蒋介石の息子が率いる中国の兵隊135万人であったと聞いた。台湾の東の花蓮県から、台湾西の台中県までの、中央山脈を通り抜ける道路が、中部東西横断道路である。太魯閣はその道路の東側に位置する。
険しい中央山脈を通り抜けるのは極めて難しい工事….その工事中に亡くなった人は200名を超えると。その英霊が長春祠というところに祀られていた。

天を突くような断崖絶壁は、台湾のグランドキャニオンと呼ばれている。そんな渓谷の観光バスは、落石の危険性を充分にチェックしながら、慎重な運行をしていると聞いた。
花蓮市はわずか35万人の小さな街だが….太魯閣と言う「宝石の山」を持っている。これらの山々からは、「大理石」を始め、「」や「ヒスイ」・そして「水晶」などの宝石が無尽蔵に採れるそうだ。すなわち「宝石の山」を持っている街なのだ。
太魯閣公園の入口あたりに、この険しい山々・太魯閣を居住地としている原住民によるレストランがあった。そこで、郷土料理の昼食となった。そのタロコ族が作る郷土料                                                  理には、なぁ〜に?これは….と言うような珍しい一品は無かった。全体に味は薄めで…目に付く品といえば、「竹の筒で蒸した赤米のご飯」くらい。味とともに素朴な料理であった。

昼食を終えて、花蓮空港へとバス移動をし、そこから高雄空港に向けて飛び立つことになった。私達を乗せた飛行機は13:40にエプロンを離れ離陸した。今日は、中型のジェット機で、人工150万人の都会「高雄市」へとおよそ50分のフライトとなる。高度を上げて水平飛行に移ったので、ノートパソコンを開く。するとそこにキャビンアテンダントが通りかかる。パソコンは「NO」だと言う。水平飛行に移ったのに何故?…と思ったが、従ってパソコンをしまった。午後2時20分、機体は着陸体制に入った。そして「高雄空港」に降り立った。
気温は花蓮よりぐんと暖かくなって21℃。ここが高雄は、雨少なく乾燥していて温度も暖かく…高齢者が住むには適した環境だと聞いた。

高雄市に入って直ぐに、高雄市内の観光が始まった。まずは、高雄空港の近くに位置する道教寺院。豪華絢爛な内装から高雄の金閣寺とも呼ばれている「五甲龍成宮」の見学からとなった。

五甲龍成宮は、五甲地域の10万人以上の人々にとっての信仰の中心であり、鳳山市の多くの寺や廟の中で、最大規模の廟と言えるそうだ。五甲庄民は代々農業に従事していたが、高雄前鎮が全国の工業の重鎮になったのに合わせて五甲も都市計画用地を納入し、多くの農民が一夜にして「土地成金」となった。
1983年龍成宮の旧廟がちょうど再建され、再建委員は皆地方の大老で、気前よく寄付をした。一時は五甲熱が高まり、さらに多くのお香やお賽銭が集まるようになったという訳である。精緻な石の彫刻は中国から渡来した石工の師匠たちによる作品だそうだ。商売繁盛の神様が祀られていると聞いた。

次に訪れたのは、蓮池譚 龍虎塔 高雄の郊外にある大きな蓮池譚」の周りは、100を超えるお寺や塔があるそうで、湖を一周して全ての見所を見て回るには3時間ほどかかると聞いた。
湖畔にはまず、七重の塔「龍虎塔」が目に入る。おもちゃみたいな2つの塔でカラフルな龍と虎が大きな口を開けている。入口は龍側と決まっている。何でも台湾では一番良い動物は龍で、一番悪い動物は虎と信じられている。だから龍の口から入り、虎の口から出てくると、災いが消えて、吉が増すのだそうだ。

その他、商売の神様である関羽を祭った「啓明堂」や、道教の神様を祭った「北極亭玄天上帝像廟」など多くの建物があった。
豪華絢爛な道教のお寺の拝観を終えて、寿山公園へと案内された。
寿山は高雄市の西南部に位置し、万寿山中腹にある。高雄港全景を一望でき夜景が美しいとか。その園内の「忠烈祠」には、国民革命の烈士たちの霊 が奉られていた。この公園を降りて、夕刻5時から始まっていると言う「夜市」に行く。ここでは、食べ物を始めとする売り物の全てが安いが、衛生状況は決して良いとは言えないらしく、私達を案内してくれている地元のガイドですら、ここでの食事は控えると話していた。だけど賑やかで、どれを見ても美味しそう。
食べ物は、50円から100円台の物も珍しくはないそうだ。

 

 

 

夜市の観光を終えて、6時少し過ぎに今晩の宿泊ホテルに到着。このグランドハイライホテルは、豪華絢爛といった雰囲気である。私達の部屋は31階となった。窓からの眺めは遠く東シナ海が鳥瞰できる。ネオンが瞬きはじめている街と、港が見えている。夕食が6時半スタートと言うので、部屋の椅子に腰を下ろす間もなく、9階の夕食会場となっているレストランへと向かった。

 

 

 

今夜も、ワインと10年物の紹興酒を戴きながら、「フカヒレ」を中心とする台湾料理を楽しんだ。同じツアーのご婦人が、万歩計を着けていた。今日は、限りなく一万歩に近い値だったそうだ。そう言えば私は、午後から左の股関節が痛み始めていた。

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