2013 スペイン・ポルトガル周遊10「第6話」

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2013「スペイン・ポルトガル周遊10」
第6話 「アルハンブラ宮殿」「白い村・ミハス」と「フラメンコ」

 旅は6日目・今朝は出発が早く、気になって am 4:30 過ぎに起きてしまった。
 ブログに貰ったコメントに、お礼の返事を書いて発信する。 今朝は、ビュッフェの料理に「目玉焼き」があった。欲張って2つを皿にとる。 それに「ソイソース」をかけて食べる … そのことによって、症状が出始めていた日本食へのホームシックから、少しだけ抜出すことが出来た感じの朝食でした。
 そして、8時少し前に、ホテルを後にしたのである。
 
 間もなく、今日最初の観光地である「アルハンブラ宮殿」に到着したアルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア州グラナダ市の南東の丘の上に位置しています
 そして宮殿は、城塞・宮殿・離宮から成っていますアルハンブラ」とは「赤い城」という意味だそうです。 ユネスコの世界遺産に登録されているアルハンブラ宮殿は、南スペイン観光の目玉となっています。
 この宮殿がそもそも何なのか、それを理解するためには、スペインの歴史のお話を、少しだけ書いておかなければと思います。

 スペインには、8世紀からイスラム教徒に支配されていた歴史があります。そして同時に、キリスト教徒も、レコンキスタ(国土回復運動)を行い対抗していました。 そのレコンキスタが、1492年に完了した場所が、ここグラナダの街で、そして「アルハンブラ宮殿」だったのです。 つまり、スペインの、イスラム王国の最後の首都がグラナダだったのです
 当時の、イスラムの王の住居や官庁、軍事施設などが集まった広大な敷地 … それをひっくるめて「アルハンブラ宮殿」と呼ばれています
 では「アルハンブラ宮殿」がどんなところなのかを、写真でご覧下さい。 アルハンブラ宮殿は、大きく分けて、軍事施設があるアルカサバ王たちの生活の場であった王宮、それに王の別荘があるヘネラリフェの3つの部分に分けられるそうです
 始めに案内されたこの場所は「カルロス5世宮殿」である。 カルロス5世が愛した場所と言われる「リンダラハバルコニー」の美しい2連窓からは、緑溢れる中庭が見渡せます。

 さらに、宮殿の召使いなどが住んでいた部屋や、イスラム文化では、宗教的に重要な意味を持つ浴室など、ルネッサンス様式のカルロス5世宮殿は見逃せません。
 現在、カルロス5世宮殿の一階は、アルハンブラ美術館になっています。
 次に、アルハンブラ宮殿の、メインスポットである「王宮」の内部に入ります。 砂漠が多いイスラム圏では、とても貴重な水を、ここでは、ふんだんに使った庭園や噴水が至るところに造られています。 また、イスラム文化ならではの細かい手作業が、壁や天井に施されています。

 中庭の南側にあるのは王の寝室。 その天井にはモカラベスと呼ばれる、鐘乳石飾りの豪華な装飾が施されています。 この八角形の天井に施された細かい細工が目を引きます。
 次に案内されたのは、アラヤネスのパティオです。 このアラヤネスの中庭を囲むエキゾチックな建物が、中庭の真ん中にある水面に映って、なんとも幻想的な世界を醸し出しています。 グラナダの典型的な庭園として有名なのだそうです。
 オアシスの周りには、この庭の名前となった美しい花と香りを放つ常緑樹のアラヤネスが植えてあります。 回廊の柱は、ナツメヤシの木をイメージしていると言われています
 そして次に案内されたのは、ライオンの中庭です。 14世紀に完成した中庭だそうで、中央に、12頭のライオンによって支えられた噴水があることからそう名付けられています。 中庭を囲む建物の2階部分は、王の后たちが住んでいた、いわゆるハーレムだったそうですよ。そして、中庭の主役は、何といってもこの大理石の柱です。124本もあると言われています。 これらの柱にほどこされた装飾の素晴らしさは「凄い !!」と言う以外に言葉が見つかりません。 偶像崇拝を禁じているイスラムでは、内装に、人物の絵のかわりに幾何学模様が用いられるそうです。 また、絨毯をひいてクッションを置き、その上に寝そべるという習慣があるので、自然と天井周りの装飾に力が入ることとなるんだそうです。
 それにしても、鍾乳洞の中を思わせるような天井の装飾などには、本当に圧倒されます。

 砂漠の多い地域で生まれたイスラムでは、建築に、水を巧みに取り込むと訊いています。
 このアルハンブラの場合も、「イスラムらしさ」 にこだわっただけのことはあって、イスラムの、水に対する考え方が、見事に表現されていると言われています。 さて、王宮をじっくり堪能した後は、別荘「ヘネラリフェへ案内された。
 ここで注目すべきは庭です。 12世紀から14世紀にかけて建設され、自然と建物が調和した「アラブ風田舎の庭」だそうです。 今も昔もどこの国でも、のんびりするには、やはり自然の緑の中が、一番なのかもしれませんね。 水の音が心地よい、そして庭園が見所である「ヘネラリーフェ」 … アラビア語で「天の楽園」という意味だそうです。 遠くの山脈から引かれた水は、途絶えることなくこの庭園を潤しています。噴水は敷地の高低差を生かしたもので、イスラムの土木技術の水準の高さを伺わせています。
 華麗なアラベスク模様に彩られたコマレス宮殿・そして、夏の離宮であったヘネラリーフェ、噴水のあるライオンの中庭などは、夜景も魅力的だと訊きました。 庭園アセキアの中庭には、用水路から引き込んだ水が、アーチを描いて吹き出る趣のある噴水があります。 とにかくとても広い宮殿です。 アルハンブラ宮殿内を、全ての壁や天井の精緻な飾りや文様をじっくり見ていたら、1日居ても時間が足りないでしょう。
 細い大理石の柱の数々、壁や天井を埋め尽くすアラベスク模様、季節の花々が咲き乱れて絶え間なく流れる中庭の水・・・。 アルハンブラ宮殿は、他のヨーロッパの建築物には全くない、繊細な美しさにあふれていて、言葉も出ない感動に出逢えます。  ここアルハンブラ宮殿の現地ガイドは、スペイン人の中年男性。 とても上手な日本語でのガイドをしてくれた。 ちなみにこの方・五カ国語を話すと言う。 日本語は六年前から学習したそうだが、はっきりとした発音で、宮殿内の植物なども、日本名を合わせて説明してくれるなど、その知識には感心したものです。
 ここには早朝から、物凄い数のツアーが、押し寄せていて、その中には、日本人のツアーも少なくない。 ここでの観光を終えて、一休みの時間がとれた。 そこで、私たちはカフェに入り、カプチーノでお茶にする。  am 10:45 ・ミハスへ向けて・2時間 / 152km のバス移動が始まった

 前日にも立ち寄ったことのある・ABADES JOJA と言うドライブインに到着した。
 ここのレストランで、今日は少し早めの昼食となるようだ。 ヤリイカを墨で煮込んだものに、白いご飯が付け合わせてある料理がメインのランチとなった。
 昼食を終えて、12:45 ・このレストランを後にする。
 これからまた、およそ一時間のバス移動の予定です。 車窓には、見渡す限りになだらかな曲線が続く山肌 … その殆どが、オリーブ畑のようである。
 こうして、ミハスの街には pm 1:55 に到着した

 アンダルシア地方に点在する「白い村」の中で、最も美しい村の一つとして知られているのがここ「ミハス」です。 ミハスは、小高い山の中腹にあり、この村からは、紺碧の地中海を一望することができます。 ミハスも、アンダルシアの他の町の例にもれず、紀元前から人々が生活の基盤を築いてきた古い歴史を持ちます。 イスラム時代には、この村の壁を一面に白く塗り上げ、現在の町並みの元となりました

 壁を白く塗るのは強い太陽の日差しを反射させ、家の中に熱がこもらないようにする、この地方ならではの伝統的な知恵です。
 きらきらと輝く白い家々は、訪れる人々を魅了してやみません。
 白い家々の壁には多くの花や植物が飾られ、通りの美しさがいっそう際立ちます。 この村には、多くの喫茶店があるので、休憩しながら通りを行き来する人を眺めるのも楽しそうです。 展望台からは、海辺に広がる町並みと、深い青をたたえた地中海が眼前に広がり、どこまでも続く空と海は、何とも素晴らしい景色です。
 白いミハスの村の裾野と青い地中海が見事なコントラストを織りなしています
 ミハス は、スペイン、アンダルシア州、マラガ県のコスタ・デル・ソルと言う処にあります。 スペインの魅力に触れるには、マドリードバルセロナなどの大都会も良いけれど、ここ白い村は必見です 孫たちへの土産にぴったしのTシャツの専門店がありました。
 1時間半ほど、この村の散策を楽しんだ後、 pm 3:20 ころだったか、このミハスの街を後にして、セビリアへ・移動 3時間30分 / 230km のバス移動となったのです

 それから、途中トイレ休憩を挟んで、 pm 6:30 ころ・セビリアの街に着き、すぐにレストランへと案内された

 入店して直ぐにディナーが始まり、夜7時からは・フラメンコのショーが始まった。 誰もがスペインに抱くイメージ … それはフラメンコ」「闘牛それに白い町並みアルハンブラ宮殿で有名なグラナダは、フラメンコの本場だそうだ
 
 この旅行で、フラメンコのことを、きちんと知りたいと思ったのです。
 フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌と踊り、そしてギターの伴奏が主体となっています。 フラメンコの歴史と発展には、ジプシーがその重要な役割を果たしているそうです。 なので、そのことを書いておかねばならない。 その昔、流浪の民・ヒターノジプシー)は、インド北西部から流れてきて、スペインのアンダルシア地方に終の棲家を見出しました。 そして、アンダルシアに伝わる音楽を、ヒターノたちの独自の音楽に取り入れながら、フラメンコを作り出したというのです。
 
 フラメンコには、どこかエキゾチックなイメージがあるのは、そのためだと言われています。 顔立ちも、肌の色も違い、独自の慣習を持ち、混血を嫌うヒターノは、移り住んだこの地で孤立し、忌み嫌われ、迫害を受け、虐げられた存在でした。
 その嘆き、哀しみ、心の叫び、苦しい想い、時には喜びを、歌に込めながら、フラメンコは発展を遂げてきたと言うのです
 日本では、フラメンコの主役は「踊り」だと思われていますが、実は「カンテと呼ばれる(歌)」にあったんです。 その歌に合わせてギターが演奏し、その歌を盛り上げるために、手拍子をし、さらには足で床を踏み鳴らし歌を盛り上げます。
 なので、フラメンコは、必ず生演奏となっています。 迫害を受け、抑圧されていたヒターノの叫びを、踊りで表現することで、自分の中で、くすぶる言葉や想いを、燃やし消し去る … その一つの手段だったようです。
 平和で豊かな日本に暮らしていても、表に出さずに飲み込んでしまった言葉や、笑顔の裏で抑圧されてしまった想いなど etc … 人はそれぞれに、苦しみを背負って生きています。 つまり、フラメンコの踊りは、人生の苦しみや喜びなど、生身の人間のむき出しの感情を表現するものとなっています

 そうした喜怒哀楽を表現した歌を、ジプシーたちは、全身を使って踊ることで表現しています。
 もの凄い迫力の一時間半であった。感動的なフラメンコのショーに大満足して、夜の8時半に、レストランを出る。
 もう外は陽が落ちて真っ暗かと思いきや、太陽の光がこうこうと街に注いでいる。

 こうしてバスに乗り込み、夜の9時頃にはホテルに入った。 今晩のホテルは、何だか良さそう。 Wi-Fiも直ぐに接続することが出来た。
 このセビリアのホテルの名前はベルティス … 今晩もまた、最小限度の荷物の方付けなどを済ませ、バスタブの湯に、どっぷり浸かって休んだのでした。
 
 今回もご覧下さいまして、ありがとうございました。
 次の「第 7話」でまた…お逢いしましょう !! 

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