“音”を楽しむ

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優雅な音色を自分で奏でられたら…..と思ったことありませんか? 仕事に追い回される毎日で、乾いてしまった心を、奏でる楽器の音色で潤してみたいと考えたことありませんか?…。あるいは、大人のムードたっぷりのジャズが演奏できたら….どんなに素晴らしいか….とか。 自分自身を潤す…..大人の音楽レッスン….そんなあれこれを思ったことはありませんか?    「もう、何歳だから」と、ちゅうちょする必要はないと思うのです。…かく言う私、何度となくチャレンジしては諦め…その繰り返しでした。…なので、少しお話ししにくい「音楽レッスン」のことなのですが、どうか聞いて戴きたいのです。
昭和40年(1965年)頃・博多中州の電停前に楽器店があった。ショーウインドーには、きらきらと眩しいほどに輝く管楽器が陳列されていた。勤めが終わったあとよくその店の前に出掛け、暫く楽器たちを眺めていたものだ。若い頃には、とても手が届かなかった憧れのサックス….その念願がかなったのは、それから30年ほどを経た、私が56歳の師走のことであった。
それまで、この楽器を吹いたことも、さわったこともなかった。買ってはみたものの、どう扱ったらよいのか?…取扱い説明書と入門書をたよりに恐る恐る吹いてみる。すると、ひとつふたつの音は出るものの、メロディーにはならない。それでも楽しくて仕方がなかったものです。そうしている内に半年が過ぎ、楽器店のインストラクターから、レッスンを受けてみないかとの誘いがあった。 ためらっていた私の背中を、ポンと押したのは家内でした。平成11年(1999年)の6月から、サックスの指導者によるレッスンがはじまったのである。
私を指導してくれることになったインストラクターは、20代の若い女性であった。毎週一回のおよそ1時間のレッスンは、教わることの全てが初めての経験ばかり、何時もあッと言う間に時間が過ぎていった。防音設備が施された狭いレッスン室は、エアコンは効いてはいるものの、緊張と生来の暑がりが重なって、汗との戦いであったことを想い出している。
こうして始まった私の「音を楽しむ」は、単に若い頃の憧れを実現させたいとの想いだけではなく、もう一つの訳があった。「突然の事故で亡くなったフィアンセともう一度逢いたい….その彼女の一心が霊媒師を通じて叶えられる」…そんなストーリーの映画「ゴースト」の主題歌「アンチェンドメロディー」は、私が妹を亡くした時から心に焼きついて離れない曲となっていたのである。
そうした曲をサックスで吹けたら…そう言う思いも重なっていたのであった。
レッスンが始まってあっという間に半年が過ぎた暮れのクリスマス…言われるまま発表会に出た。 ところが、ガチガチに緊張して、口の中もカラカラ…言うまでもなくさんざんな演奏で終わった。だけど、思いやりの拍手をもらったときのあの嬉しさは忘れられない。
楽器を演奏することによって、音を肌で楽しむことが出来る。高い芸術性はさておいて、単に「音を楽しむ」、それが私に合った「音楽」なのである。せわしさに押し流されてしまいがちな毎日の暮らしの中、レッスンの緊張はいいストレスともなって、充実感を味わうことが出来た。そうしたレッスンも、平成14年3月・インストラクターの結婚で幕を閉じた。およそ2年半が経過していた。
このままレッスンを止めてしまっては振り出しに戻ってしまう。…そう思った次の瞬間、プロの演奏家に師事することを決意した。その先生は 昼間は音楽綜合の事業を主宰しながら、夜はピアノバーで演奏をされていて、よく聴きに出掛けていったものだ。そんなことで先生とは以前から面識があって、レッスンのことを相談すると、快く直ぐに引き受けて下さった。
平成14年4月からは週に一度、先生のお宅を訪ねレッスンを受ける日々が始まった。プロの指導は、楽器店のサロンのそれと違って、かなり鋭い指摘を受けた。習い始めて2年半ほど経験を積んできた私のサックス技術。 …プロの前では、1から出直しに似たレッスンが始まった。…だが、そうした厳しさを素直に受け入れられる自分がいた。また、プロからの刺激を快く感じていたことを思い出す。
その後春秋は巡る中、レッスンの受講は、色々な事情も重なって、年を経る毎に少なくなり 平成20年には、先生にもご理解を戴いた上で、およそ5年間続けてきたレッスンを中止した。
そうした私のサックス歴を少しご存じの方々は、口をそろえてこうおっしゃる…「5年も習っておれば、何の曲でも吹けるでしょう」…と。 そこで、しっかりとお断りを申し上げておかねばならない。
私が下手なのか?…あるいはサックスの演奏技術が難し過ぎるのか?…未だに曲の始まりから終わりまでの全部を吹き通すことの難しさを痛感している私がいる…トホホ。そして、ブランクにいる今、先生から教わった数々の言葉が想い出される。
ある時私が先生に向かって「なかなか思うようには上達しないものですね」と言った。すると「忍者の修行」と言う話しをして下さった。 
忍者が跳躍力を鍛えるために、生長の早い「麻」や「熊笹」などを植えて、その上を毎日飛び越えるという修行の話である。この「麻」や「熊笹」は、1日あたりに換算すると2〜3㎝ほど成長してゆくらしい。なので、この上を飛び越え続けていると、知らず知らずにハードルが高くなって、忍者の跳躍力が引き上げられるという理想的なトレーニング法なのである。
つまり、サックスのレッスンも同じで、一見・遅遅として顕著な成果を見出せない様な努力でも、コツコツと弛まず続けていれば、いつの日か必ず大きな結果を生むという教訓のお話しであったのだ。いま時折り思い出して自戒している。….忍者のクマザサは、いまも休むことなく伸び続けていることだし…近い内にレッスンを再開したいと思っている。
「音を楽しむ」のテーマにしては、ちょっと堅苦しい話にはなるけど、先生は次のようにもおっしゃった。
音楽は決して、これ見よがしに超絶技巧を駆使するものばかりが素晴らしい訳ではない。日常の中に、ほんの少しでも「潤い」や「やすらぎ」或るいは「元気」を付加してくれるところにこそ、真の音楽の存在意義があるとおっしゃった。
また、脳細胞は幼児期に形成され、以後加齢と共にその数は減少の一途を辿ると言われている。….が故に、歳をとると記憶力や思考力が低下しても、それはやむを得ないことだとされて来た。しかし近年の研究では、適度な刺激により脳は活性化し、一部の脳細胞は増え続けるということが判っているそうだ。そして活性化に有効な刺激の最たるものは、「学習」することであるそうですよ…。

 

 

 

サックスを練習し、譜面を学ぶということは、日常とは異なる神経を使い、脳内物質の成長を促進させるに大変有効であると言う訳です。また、サックスを吹くという行為は、一種の「有酸素運動」ともみなせるそうで、これまた脳の活性化に有効だそうだ。「音を楽しむ」…「ゆっくりでもいい、しかし一歩一歩着実に」これからはそんな想いで、自分なりの「楽しい音」を探し続けてゆきたいと思っています。あなたにとって音楽とは? ….音を楽しんでみませんか

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