2012 アンコール遺跡群(4)

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 第4話 「 タ・プローム バンテアイ・スレイ遺跡を訪ねて

 日本での冬眠から、まだ覚めやらぬままに「シェム・リアップ」入りをしている私の身体が、昨日・ここでの慣れない暑さと終日の観光でかなり疲れていたみたいで、今朝は、目覚ましの音に助けられて、やっとの思いで起きあがったのでした。
 今朝は、5時にホテルを出発する「アンコールワットの夜明けのツアー」が予定されていた … が、私たちは、そのツアーを昨日の内に断っておいた。 なので、ホテルでの朝の食事は、ゆっくりと流れる時間の中で、美味しく味わうことが出来ました。 
 また、出掛ける前に、ホテルの庭を散策したり、我が家への連絡メールを発信したりなどの作業もできて良かったと思っています。 こうして、シェム・リアップでの2日目は、 am8時15分にホテルを出発し、「タ・プローム遺跡」の観光から始まったのである
 ここ「タ・プローム遺跡」は、アンコール・トム遺跡のすぐ東側に位置しており、創建時は、ジャヤヴァルマン七世が、お母さんのために造った仏教僧院であったそうだ … が、後にヒンドゥー教の寺院に改造されて、今はその姿を遺している
 そんな歴史があって、仏教色の強い彫刻の多くが、削り取られている ここは、東西約1,000m、南北約700mもの、ラテライトの壁に囲まれた、広大な敷地の中にあり、建立当時は、僧院には5,000人あまりの僧侶と、615人の踊り子が住んでいたと伝えられているんです。 … 凄いですね !!
 さらに、碑文によると、この寺院内には、3,140の村があったというからまた驚きです
 創建されてからも、建物の増築が続けられたとみられ、周壁の内部は迷路のように入り組んでいます。 この遺跡では、砂岩が主な建築材料として使われているそうですが、周壁や住居建築には、ラテライトが用いられているとのことでした。 そしてこのタ・プローム遺跡」は、発見当時の姿のまま残されているそうですが、これにはちょっとした訳があるんです
 苔むし、薄暗く神秘的な雰囲気の「タ・プローム遺跡」は、巨大に成長したスポアン(榕樹)すなわち「ガジュマルの樹」に押しつぶされながらも、かろうじて寺院の体裁を保っています。 すなわち … 熱帯で、管理を行わないと、どのようになるかという自然の脅威を身に染みて感じさせてくれています この遺跡では、自然の力を明らかにするために、樹木の除去や、本格的な積み直しなど、修復の手を下さないまま据え置かれてきたと聞きました。
 しかし近年、こうした方針が限界に達しつつあると言うのです。
 建築物を自然の力が、押しつぶす過程を、まざまざと見せつけているこの遺跡の状態は、日本人を含めた東洋人の心を強く打つようだ ??  … と言われていまして  …  つまり、この「タ・プローム遺跡」の巨大な樹の根は、観光客が記念撮影をするのには、魅力的な面白い被写体となっているから、修復の手を下さないでいるんだと言うのです ……  ?? !!  中央祠堂の近くには、ガジュマルの樹の根の上に、さらに別の植物の根が張り巡らされていて、まるで毛細血管のようにも見えます。 また、中央祠堂の南西側の回廊を踏みつけ、今にも押しつぶしそうな光景を目のあたりにすると、まるで生き物のように見えるから不思議です。
 これらの巨大木は、樹齢が300年〜400年だと言われています
 この樹「ガジュマルの樹」は、内部が空洞になるそうで、建物などの材料には使えないそうです。 遺跡群を訪れる観光客を喜ばせ、写真のスポットとなっているだけで、カンボジアの人々にとっては、遺跡などを壊す、ただの「うどの大木」と大変評判の悪い樹だそうですよ 東門の壁面に立つ美しいデパターにも注目ですが、中央祠堂の周りには、美しいデパターの宝庫となっていました。 彫りが深い、妖艶なデパターたちを、出来ればゆっくり鑑賞したいと思ったものです

 ところで、この「タ・プローム遺跡」の中央祠堂のことを、碑文には、仏像や金銀財宝をはじめ、貴重な品々が納められていたと書いてあったそうです
 中央祠堂の内部(右の写真)には、穴が無数に開いていました。 建立当時には、この穴に、宝石やガラスがはめ込まれいたとされています。 その宝石やガラスに、上部に開いた穴から差し込む光が反射して、それはそれは美しく光り輝いていたとのこと。 
 そして、中央祠堂の外壁には、デパターたちが妖しく微笑んでいる。 そんな中央祠堂の光景に、イマジネーションをふくらませて観るのも楽しいものでした。

    ここで、東門の北東壁に見られる、ハスの花の上で髪を絞っている「髪の長い女の子のレリーフ」の伝説をご紹介しておきます
    このお話は、お釈迦様が,瞑想しているところへ阿修羅がやって来て、お釈迦様の瞑想の邪魔をするので、ロムサイソーという名の長い髪の女の子が、池の水を長い髪の毛で吸い上げ、その水を瞑想場所の周囲に移して、阿修羅が入ってこられないようにしたと言う伝説なんです

 次に訪れたのは、「女の砦」と言う意味をもつ寺院で、 「バンテアイ・スレイ遺跡です。

 シヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられた、周囲がおよそ400mの小寺院で、外壁は赤色砂岩とラテライト、屋根の一部には、レンガも使用された美しい遺跡です。
 シェムリアップからは、北東におよそ40kmのところにあって、車で45分〜1時間といったところでしょうか。
 10世紀に建立されたと伝えられている「バンテアイ・スレイ」は、紅色砂岩で造られたとても美しいヒンドゥー寺院です


 東正面から入ると、赤い絨毯が敷き詰められているかのような、ラテライトの参道が延びていた。その両側には、石柱(男性のシンボル ?)が立ち並んでいる
   そこを進むと、第二周壁の塔門となり、この門のレリーフが凄いです。ラテライトで造られた第三周壁の中央にある東塔門の破風には、2本の帯がたすき状にかけられた特異なモチーフが残されていて、赤色砂岩に施された彫刻は、洗練された美しさをもっています。 この寺院には、ほかの遺跡と類似性の少ない、独自のモチーフが、随所に見られるようです。 また、紅色砂岩とラテライトを多用することによって、中央の伽藍は、燃える炎のように感じられました。それに、雨に濡れれば、朱色は一段と際立つそうですよ レリーフの彫りが深くて、本当に丁寧に彫ってある。1,000年以上も経っているレリーフとは思えないほど、しっかりと保存されています。そして、この寺院の美しいレリーフは、一見木彫のようにも見えます。 この繊細で深い浮き彫り装飾が、今日まで美しさを保って来れたのは、材料である紅色砂岩の質が、非常に良質の物であった為と言われています


 この赤い砂岩に掘られた数々の彫刻の中でも、たくさんの女神(デヴァター)像がとりわけ美しく、その中でも、身長1メートルほどの小品ですが、綺麗な容姿から「東洋のモナリザ」と呼ばれているものがあります。 ただこの像の近くは立ち入り禁止地域なので、ズームで撮影する必要がありますね。 この遺跡には、美しい女神たち以外にも、素晴らしい彫刻が沢山あります。これらを見つめていると、思わずため息が洩れるほど美しいものでした。 
 とっても、芸術性の高い遺跡で、見ていても飽きない …… また何時か、ゆっくりと時間を取って見学したいと思ったものです。
                  *****
 ここで、アプサラ・ダンスについて、少しのことを書いておきましょう。
 宮廷舞踊であった「アプサラ・ダンス」とは「天女の舞」と言われていて、アンコール王朝時代には、神々への捧げものとして踊られていたそうです。 手先は、人並みはずれた反り返った形をして、片足のポーズが特徴的で、一つ一つの動きがゆったりとしていて、しなやかで、とても繊細であるのが印象的な踊りです。 アンコールワットに限らず、多くのアンコール遺跡群には、必ずといっていいほど、このアプサラのレリーフがたくさん彫られています。
 かつての、独裁者によってもたらされた悲劇などなどで …. アプサラに関わっていた沢山の先生や踊り子たちが失われ、一時期は「幻の踊り」とまでも言われていたそうです … 現在は、生き残った数少ない先生たちの復興への努力のお陰で、たくさんのレストランやホテルで観ることができるようになったとのことでした。…. 良かった !! ….. 一日一日、平和で幸せな国になっていって欲しいと、思ったものでした。

   これまで見て下さって、ありがとうございました !!
   続きはまた次回に …

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